近代法と立法論

近代法と立法論

ヨーロッパで起きた産業革命は国によってはじまった年が異なり、イギリスが最も早く18世紀後半である。ベンタム(1748〜1832)は、まさにその時期のイギリスの社会科学者である。ベンタムの説く立法論は近代法の考え方に近い。そしてベンタムの立法論とは批判を、彼以前の著作家の諸著作へ、容赦なく浴びせるものだ。

ベンタムは、拘束力のある法はどこからやってくるのか、と言う問いに対して「自然状態を脱出する為の国家と市民の原始契約」から話を始めることを、「擬制」として批判した。ベンタムは、社会とは諸個人の不完全さからくる人類の結合であり、諸個人の「今ある法を解説し、今後に有効な法を批判的に提案する」と言う現存性に連続的な立法を説いた。

1688年から1689年に起きた名誉革命以来、絶対王政を廃したイギリスであるものの、近代法とは近代資本主義社会の成立から要請されることを改めて感じさせる。資本主義自体は古代からあるのにも関わらず、賃金労働者層と言う社会階級が顕在化すると近代法が要請された、とはいかようにも思索できるものである。ここでベンタムが、ホッブズ(1588〜1679)の説く「自然状態」を批判することに取り掛かったことは、ベンタム流の遠望なのである。

ホッブズの『リヴァイアサン』は1651年に書かれた著作だ。これは、現代から立ち返ってみれば「国家からの自由」について論述されたものだ。それに対してベンタムの立法論とは、現代風に言えば「国家への自由」を説いたと言っても過言ではない。何がどう現代風なのかと言えば、民主主義で法治主義の国家における参政権の概念を知っている現代人なりの目線であれば、ベンタムが言いたいことは当に其れだと意訳するだろう、ということだ。ただしベンタムは、全く無秩序な状態や、道徳や理性に推されて正しく指導者を選任する人間像と、現存する人間(社会)とは違う、人間とは「恐れ」や「必要」から結合しあって社会を成すのだと考えている。

国家を形成する法

日本で初めての憲法は、聖徳太子の十七条憲法である。これは中国思想を取り入れた法であり、かつ国の在り方を定めた法である。当時日本列島で豪族同士の戦乱(内戦)が起きる問題を、天皇中心の集権的国家をつくることで解決しようとしたのである。畿内に本拠地のある朝廷にとって、中国から北九州を経て伝来する文物の文化力や精神的合意を利用して法典を策定することは、上述の解決方策を進めるうえで有利に働く公算があったに違いない。
さらに時代を遡ると、弥生時代に戦乱が繰り返し起きていた事は出土品の分析で明らかになっていて、卑弥呼と言うパワーによって停戦の合意がなされた通説に従って考えれば、「サミット(豪族連合)」という発想は列島の豪族に「有り得るもの」だったが実現にはパワーが必要だったことが分かる。邪馬台国にも法は存在したが非常に原始的なものだった。卑弥呼が統治に利用した人心掌握術とは「鬼道」と呼ばれるが、名付けたのは中国の儒家であり、当時中国の若者の間で流行していた「占いのような儀式」と同様だとして、そう呼んだとされる。時代が下り、豪族のサミットがどうにも難しくなり、現実的な国家の憲法を定めた。聖徳太子の十七条憲法とは、そのあたりの進歩なのである。

自然状態の緻密な定義

ホッブズが説いた「自然状態」とは、国家を欠いた状況であると説かれる。より緻密には、まず全ての個人が持つ自由権(意のままに振る舞う自由)と、個人と個人の衝突を避ける目的で互いの自由の範囲を理性で限定しあう事(自然法)の対立が無いと言う事だ。
これは現代でも、たとえばブラック企業問題のように「多くの者が法に拘束されている事を尻目に自分だけ法を脱したくらいでは問題無く安定した社会が保存される」と認めて法を脱した結果、社会の暗部が出現することにも通じる。

人間の現存性に連続的な立法論

人間の現存性とは、ここでブラック企業問題に立ち向かう労働者が社会の暗部を批判することで、その撲滅を逸した現行法を解説したり批判したりすることの体現であること、二方面の姿であることを言う。連続的な立法とは、現代風に言えば国民主権と世論にイコールなものだと思われる。

【参考】
中島善治「ベンタム立法論の序論的考察」1955 法政研究23(1) 九州大学法政学会

書籍紹介:『高校から大学への法学[第2版]』君塚正臣(著)

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