金融論:金融の現代史

イノベーション

金融市場の断層的な改善。もともと証券取引所は、証券会社の自発的な集まりの組織化であった。流動性、価格公示機能の向上は、恒久的な問題意識である。ITを利用した技術による改善がわかりやすいが、取引費用(時間的コストや交渉決裂のリスク)の削減に、今日まで寄与してきたものは数多く存在する。1970年代にデリバティブ(価格変動をリスクとしたリスク移転)が台頭する。デリバティブは金融工学を駆使する証券会社の大きな収入源となった。

グローバル化

1977年には外国為替取引量が、世界全体の貿易額の約4倍(国際決済銀行(BIS))。1980年代後半には、深刻な貿易赤字を抱える米国で、機関投資家による対外証券投資が活発になっていった。

ダニエル・パウ太

アメリカに輸入された外国産品の価値の合計が、輸出されたアメリカ製品の価値の合計を上回ってしまって、それがすごい差になってしまった。

ダニエル・パウ太

オカネでお支払いするわけですから、各国通貨を調達しないといけないなかで、貿易赤字ということであれば、どちらかと言うと、各国通貨が米ドルに替わるというよりはむしろ、米ドルが各国通貨に替わる(アメリカからみたら米ドルを売っている状況)を余儀なくされるわけです。

ダニエル・パウ太

ただしそれは米ドルという通貨全体として、そういう絵面というわけであって、その詳細は様々だとしても機関投資家の対外証券投資というのが活発になるということに至ったようだ。

ダニエル・パウ太

このアメリカ経済の事情は、あとあとの展開として、日本国内の金融市場の閉鎖性を指摘したうえで、日本にその閉鎖性を是正するよう要求する話にもつながってきます。
金融危機

世界政府が存在しないなかで、世界規模の金融市場に必要なインフラストラクチャーは、極端な話をすれば調達不能であり、世界規模の金融市場とは、どだい整備困難なものであるから、一定の脆弱性を今日においても抱えたままなのである。具体例としては、1997年アジア通貨危機がよく参照される。

日本のキャッチアップ

日本は、高度経済成長期のメインバンクシステム(相対型間接金融の時代)から市場型金融システムへ、1980年代後半には概ねキャッチアップ段階(明治維新以来の産業化と共に先進国欧米を手本とする金融の模倣的学習のこと。市場型金融システムへの移行は、金融システム改革と呼ばれることもあり、キャッチアップ段階としては仕上げに相当する。移行前のメインバンクシステムも、キャッチアップ段階としてはラストスパートなどと呼ばれることもある)を終了させたと言われている。株式市場は、バブル経済期には企業の資金調達の場として大いに活況した。

ダニエル・パウ太

サッカーみたいに昔から欧米が強かったんですね。ただ、金融史の事情はJリーグ発足のような素晴らしい美談とは言い難いようです。

ダニエル・パウ太

日本は自国の経常収支黒字を国内需要拡大にシフトせよと、1980年代以降アメリカとの経済摩擦の最中に、他ならぬアメリカから要請されてしまって~?

ダニエル・パウ太

それを金融政策(マネーサプライの継時的上昇を物価に注意しながら見守るという、いまでいう量的緩和政策に匹敵するもの)に頼ったことでバブル経済の発生につながったという見方もあるのですね!

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