格差社会を解決するために、企業はどのような役割を果たすことができるかについて述べなさい。
解答例(最終更新日 2020/7/25)
いま格差社会を考えるさい、最も直感的なものが所得格差であり、現実に豊かな暮らしをする人とそうでない人がどうして社会に混在するのかは重大な関心事と思われる。ここで所得格差とは、個人間で、ある年の所得を比較した結果として格差が生まれているというよりは、むしろ生涯を通じた所得を比較した結果として格差が生まれていることをいうべきだ。正社員など正規雇用と呼ばれる雇用形態の人々は、職歴でみても正規雇用が長く、生涯を通じた所得が高い。その一方で、非正規雇用と呼ばれる雇用形態の人々は、職歴でみても非正規雇用が長く、生涯を通じた所得が低い。
ここで企業によってトレーニング(On the Job Training)が施される従業員と、そうでない従業員が、前述の雇用形態にそって明確に差別されている事実は、大いに関連する事項ではないだろうか。ここでトレーニング(On the Job Training)とは、経験年数に応じてより高度な仕事を徐々に任されることをいう。そうしたキャリア形成に役立つトレーニングが、正規雇用者にはよく施される。その一方で非正規雇用者にはあまり施されない。理由として、非正規雇用がそもそも短期的な人員補填のための短周期雇用であることなどが挙げられる。この違いはやはり長期的なキャリア形成に大いに影響する。特に職歴に非正規雇用の長い者は、年齢の割にトレーニングが過少な者として労働市場で扱われやすく、再び非正規雇用者として雇用される傾向にある。これが雇用形態と所得格差が関連付けられる原因、要は非正規雇用者がいつまでも低賃金の非正規雇用者である原因の根本であると思われる。
こうした議論から、ではどのようにして所得格差を解消していくか考えれば、トレーニングの機会を均等にしていく方策が直感的に思い浮かぶ。非正規雇用であっても一定期間を勤務した者、つまり短周期雇用でもそれを繰り返した者などを中心に、正規雇用者と同じタイミングで同じ内容のトレーニングを施すこと、そのような企業内の仕組みが社会全体で普及すること、この二つをもって前述した雇用形態に紐づく所得格差は一定の解決が見込まれるのではないだろうか。繰り返しになるが、ここでトレーニングとは高度な仕事を徐々に任されるといった意味合いであるから、労働者に課す業務の質で格差をつくらないようにするという意味合いも、ここでは含んでいる。別の言い方をすれば、企業は労働者を平等に育てていくよう努めるべきだと考え、それをもって格差社会を解決するための企業の役割と考える。
【参考:『労働経済学入門 新版』(著)太田 聰一、 橘木 俊詔】
【参考:非正規雇用をめぐる格差余話|独立行政法人 労働政策研究・研修機構】
解答例2:
格差社会とは、一人ひとりに平等ではない、不平等があるということだ。評価に高評価と低評価がある。しかしスポーツチームのように、構成員一人ひとりが様々であることは、いずれ良い結果を生み出す。ここで気を付けるべきことは、組織やチームの強さのために、低評価を押し付けられてしまう一定の者が生まれてくるのではないだろうか。つまり低評価が下される役割を割り当てられることと、何らかの特定の個人特性が紐づいてくることは、有り得るのではないか。
具体例を挙げよう。企業で管理職の一割が女性である。管理職に求められる能力とは憤怒である。しかし女性は憤怒が苦手である。憤怒に関して女性は場数に乏しい、それは生理的文脈と文化的文脈の両方で、である。もしも、そのような理由から女性に管理職は成り難いものであったとして、それが自己実現の不平等として人間生活に関わることであれば、当然には許容すべきではないと思う。
企業の常識は社会常識になる。たとえば障碍者が地域社会に参画するうえで、地域社会のほうから障碍者に独自の穿った考え方を添付することなく、一定のハンディキャップを持つ者に過ぎないとして受け入れることは、企業に障碍者雇用が普及することで促されてきた。企業の内部統制に援用される正義的価値観と、遅かれ早かれ、社会の正義的価値観とは互いに接近してくる。それは外国人労働者についても同様である。周知の通り一定の課題が残存している領域ではあるものの、である。
企業とは、経済学で「見える手」と呼ばれることがある。市場原理の「見えざる手」との対比で、つまり一人ひとりに直接作用する主体である。それは資源配分と言う従来の問題意識にとらわれず、一人ひとりの人間生活と言った社会学的文脈でも同様である。ダイバーシティマネジメントとは、いま企業が果たしていく重大な役割なのである。