国際関係!徹底マスター用語解説:西洋史

ディアスポラ共同体
ギリシア語で「まき散らされたもの」を意味し,ユダヤ人でパレスチナ以外の地に移り住んでいた人々、また移住そのものを指す。「難民」と同じだと理解されがちだが、難民が元の居住地に帰還する可能性を含んでいるのに対し、ディアポラスは移転地での永住と定着を示唆している点が異なる。もともとは、古代ギリシャのディアスポラのことを指していたが、最近では中国人の「華僑」や、インド系の人々の移住者もディアスポラだとされている。

重商主義
16世紀末から18世紀にかけてヨーロッパの国々を支配した経済思想。イギリスのトマス・マンらが代表的で、フランスではコルベールによって推進された。金銀の獲得を主とする重金主義から始まり、その後、自国の輸出産業を保護育成し、貿易差額によって資本を蓄積して国富を増大させようとする形態に変化していった。この政策の実施により、ヨーロッパの列強は原料の生産地や製品の市場として植民地を必要とし、植民地獲得のための戦争が展開された。

瀕死の病人
1299年から1922年までの約600年間、アナトリア、バルカン両半島を中心に栄えたオスマン帝国が、19世紀に入り内部で次々と離反、分裂が起こり、権威が凋落していった。その際、ヨーロッパ諸国が帝国を揶揄した表現である。露土戦争、クリミヤ戦争でロシアと衝突し、帝国は本格的に弱体化した。巻き返しを図り、第一次世界大戦にてドイツ側で参戦するも敗戦。最後に残ったアナトリアから新たな政府「トルコ共和国」が誕生し、帝国は消失に至った。

ビスマルク体制
19世紀後半にドイツ帝国宰相ビスマルクの築いたヨーロッパの外交関係を指す。ビスマルク外交ともいう。三帝同盟、三国同盟を結ぶことでフランスを孤立させ、ドイツの国際的地位の確保を狙った。しかし、当時のヨーロッパ列強諸国が盛んに行っていた、ヨーロッパ以外の地域での植民地拡大には消極的であった。よってビスマルク在任中のヨーロッパでは戦火がほとんど存在しなかったと言われている。

武装平和
第一次世界大戦前のヨーロッパの国際関係を表す言葉。ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟とイギリス・フランス・ロシアの三国協商が対立し、「ヨーロッパの火薬庫」とも言われていた。一触即発の危機をはらみながら、双方の力がある程度均衡状態を保ち、かろうじて平和を維持していた状態のことをいう。ドイツの哲学者・ニーチェは「自国と隣国を信用せず、半ば憎悪、半ば恐怖から武器を放棄しかねる意向上の平和である」と説いていた。

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