過去問・駒澤大学グローバル・メディア・スタディーズ学部(3年次編入試験・2017年度、2015年度)

「ヘイト・スピーチ」をテーマにした小論文が、駒澤大学で過去に2度出題されています。文系の様々な分野をまたいだ学際的トピックですから、志望校や学部を問わず、編入志望者は学習しておきたいテーマです。

2017年度
最近話題となっている社会問題にヘイトスピーチがある。ヘイトスピーチについて、つぎの問いに答えなさい。
問1.ヘイトスピーチにはどのようなものがあるか。いくつか例を挙げ、それぞれについて数行程度で簡略に説明しなさい。
問2.そのなかで、あなたが特に取り上げたいヘイトスピーチを一つもしくは二つ挙げ、それを取り上げる理由、ヘイトスピーチ(行為)がもたらすであろう社会的影響や結果、問題点などについて自由に考察しなさい。

2015年度
いわゆるヘイト・スピーチ(国籍・人種・宗教などの特定の属性を持つ集団に対する差別や暴力や憎悪を煽る言動や行為)が、日本では特に2013年以降社会問題となっている。現在、ヘイト・スピーチを法的に規制するべきか否か、という問題について、表現の自由や言論の自由をどこまで認めるべきかという論点を中心にして盛んに議論がなされている。また、近年のヘイト・スピーチは、ネット上でのさまざまな言説が現実のデモなどの行動と結びついている点が特徴である。
ヘイト・スピーチに対して日本社会はどのように対処していくべきか、情報・メディア・法律・産業・文化・国際関係などの視点から自分なりに主題を設定し、800字程度で自由に論じなさい。

解答の着想
1.
2016年5月に「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」が制定された。これを以後、ヘイト・スピーチ解消法と呼ぶ。ここで「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」とは、同法第二条によれば、

専ら本邦の域外にある国若しくは地域の出身である者又はその子孫であって適法に居住するもの…に対する差別的意識を助長し又は地域の出身であることを理由として、本邦外出身者を地域社会から排除することを煽動する不当な差別的言動

である。ヘイト・スピーチ解消法は、ヘイト・スピーチを許されざるものとしつつ、しかし罰則を設定していない。そのためヘイト・スピーチを具体的に規制する法ではない。

ただし2019年12月に川崎市で可決、成立した「川崎市差別のない人権尊重のまちづくり条例」は、外国人とその子孫に向けられたヘイトスピーチに対して罰金刑を課す条例である。被害者を特定する必要のあった名誉棄損罪や侮辱罪が適応できなかった不特定多数へのヘイトスピーチが処罰の対象になった。ここで肝心の、ある言説がヘイトスピーチにあたるかどうかの判断は、専門家を交え慎重に議論されると定められた。

2.
ヘイト・スピーチに関する闊達な議論では、ヘイト・スピーチの定義の難しさが最大公約数的に説かれる。そのような中で、下記では、定義が比較的に明快に論じられている。

「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」、あるいは「レイシズム」といった言葉が日本で一般化したのは、2013年に入って以降のことである。ただし、言葉が流通し始めることと、そうした言葉が指し示すものごとが生じることの間には、たいてい一定の時間のズレがある。日本の場合で言えば、2009年ごろから目立ち始めた「在特会」(正式名称は「在日特権を許さない市民の会」、設立は2007年)などの活動が、こうした言葉が一般化する一つの大きな背景となったことは間違いないだろう。こうした団体は、在日コリアンをはじめとする様々なマイノリティに対して、「出て行け」「殺せ」といった侮辱的、扇動的、あるいは脅迫的な表現を意図的に用いる、しかし、そうした彼らの言動を描写する言葉は、その後かなりの間、なかなか定まらなかった。それが変わったのは、2013年に入り、彼らと路上で直接対峙する反レイシズム運動(いわゆる「カウンター」)が活発になり、国会の議員会館でこうした問題を扱った集会が行われ、新聞やテレビなどの大手メディアが揃ってこの問題を取り上げるようになって以降のことである。ヘイトスピーチ、ヘイトクライム、あるいはレイシズムといった言葉は、そうした文脈の中で、ようやく実感を伴った形で一般的に流通することになったのだ。

とはいえ、ある言葉が一般化することと、その言葉の意味がきちんと理解されるということは、別のことである。むしろ、一般化することで意味があいまいになることも多い。たとえば「ヘイトスピーチ(hate speech)」という言葉だが、これは直訳すれば「憎悪言論」である。確かにhateは「憎む」とか「憎悪」とかいった意味の単語なので、その点ではこれも間違いではない。しかし、日本語としての「憎悪」がイメージさせるのは相手が憎いとか嫌いだとかいったことであり、そうなるとたんに相手に罵詈雑言を浴びせることもヘイトスピーチに含まれるような気がしてしまうのだが、実際にはこれはまったくの「誤解」である。なぜなら、ヘイトスピーチがヘイトスピーチであることの決定的な条件は、それが「相手が属する集団」それも「本人の意思では変更が難しい集団」に基づいて、侮辱や扇動、あるいは脅迫が行われるということだからだ。したがって、たんにその人個人を罵倒したり、汚い言葉を浴びせたりしても、それはヘイトスピーチではない。

『ヘイトスピーチ 表現の自由はどこまで認められるか(p275-276)』
(著)エリック・ブライシュ(訳)明戸隆浩/池田和弘/河村賢/小宮友根/鶴見太郎/山本武秀

【関連する発展的な出題】中央大学法学部(3年次編入試験・2019年度)いわゆるヘイト・スピーチ(憎悪表現・差別的表現)に対し、法的な規律を加えることによって生じうる憲法上の諸論点について、①現行の法律の範囲内で規律を行う場合、②現行法を超えた規律を設けた場合、に分けて論じなさい。

【関連する発展的な出題】中央大学経済学部(3年次編入試験・2020年度)「へイトスピーチ」とされる言論を擁護するために「言論の自由を持ち出す議論が見られます。それが不適切であることを、言論の自由の意味 ・意義を踏まえた上で、論じなさい。※一般教養のほうで出題されています。参考までに下記もどうぞ。

“言論の自由を保護することは、誤謬や一面的な真実との衝突の中から真理が発生する可能性を最大化する。またそれは死せる教義としてその見解に固執する危険に瀕していたはずの人々の信念を、再活性化もする – 引用 p25”

“アレクサンダー・メイクルジョンは、言論の自由の主たる価値は、民主主義が効果的に機能するために不可欠な種類の議論を促進することだと主張する。よい判断を下すためには、市民たちは多様な思想に触れる必要がある。言論の自由によって市民たちは、様々な見解を、その真理性を強く信じる人々から聞くことができる。この最後の点は重要である。つまり、反対するために反対する悪魔の代理人(devil’s advocate)を引き受ける人々には、自分が採る立場の真正かつ情熱的な信奉者でいる自分の姿を想像できることは滅多にないだろうから。理想的なのは、反対論者だったらどう言うだろうかと想像する人々ではなく、本当の反対論者から反論を聞くことである。- 引用 p18”

出典:『「表現の自由」入門』ナイジェル・ウォーバートン (著), 森村 進 (翻訳), 森村 たまき (翻訳)岩波書店

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