国際開発論:東南アジア

2019年3月25日毎日新聞より拝借。
2019年3月29日毎日新聞より拝借。

(引用:3月25日紙面)
インドネシアの首都ジャカルタで国内初の都市高速鉄道(MRT)が24日、開業した。日本の政府開発援助(ODA)を活用し2013年に着工。工事から車両、運営管理まで日本が全面支援した。世界最悪ともいわれる深刻な渋滞を緩和すると期待されている。
(中略)
開業したのは、一部が地下鉄の南北線・第1期区間(約16キロ)で、工事費は約1200億円。今後、約8キロの延伸が予定されているほか、東西線の計画もある。
(おわり)

(引用:3月29日紙面)
市民の関心は高く、開業を前に運営会社の州営MRTジャカルタが12日から実施した試乗会には約40万人が参加した。試乗した大学生のニル・アユマスさん(21)は「バイクタクシーと比べて割高でも渋滞に巻き込まれないなら価値がある。」と満足そうに話した。
(中略)
市民の足が自家用車やバイクタクシーからMRT利用へと切り替わるには時間がかかりそうだ。ジャカルタ市民は歩道や公共交通の整備不足もあって、歩かない生活に慣れている。
(中略)
MRTの利用促進には、到着した駅から実際の目的地へと向かう移動手段の確保が欠かせない。国際協力機構(JICA)の田中寧理事は「(MRTから)バスへの乗り継ぎや駅周辺の施設などを地道に整備していくことが重要。市民からの信頼性を高めるため今後も協力していく」と話した。
(おわり)

新興国の交通需要は経済成長に伴って爆発的に増加すると言われており、都市間輸送の手段を整備することは通過儀礼的課題と言えるだろう。特にインドネシアのような人口大国では整備の遅れが環境問題にも発展するため、先進国の主導でも解決すべき重大な課題だ。

しかしインドネシアの交通は立ち遅れているのかと言えば一概にそうとも言えない。確かに鉄道など都市間輸送の整備は課題であるが、インドネシアでは「パラトランジット」が発達し、都市内輸送の手段は日本よりも豊富だ。パラトランジットとは、鉄道やバスのような大量輸送と、タクシーや自家用車のような個別輸送の、中間にあたる輸送手段である。その中でも「アンコット」と呼ばれる乗り合いタクシーのようなワゴン車が最も利用される。どの場所でも乗降できる路線バスという表現が一番近いかもしれない。観光客にも人気だそうだ。しかし鉄道で輸送した大量の旅客を駅から捌く手段として、やはりバスなど大量輸送が今後は大いに必要とされるようだ。

約16kmといえば山手線(34.5km)の半分程度の長さだ。このまま日本の鉄道会社のよい直接投資先になってほしい。


2019年3月29日毎日新聞より拝借。

(引用)
ウェンティーさん(42)とマーロンプーさん(38)夫妻は2年前、親戚を頼って子供4人を連れてここに来た。「タイなら稼げる」と思ったためだが、成長した子供も共に働いて一家の収入は1日800バーツ(約2800円)ほど。タイへ来る際に仲介業者へ支払った2万8000バーツ(約9万7000円)は高利の借金でまかなったため、2年たっても返済が終わらない。「生活環境は悪いし、お金を返してミャンマーに帰りたい」と苦悩を打ち明けた。
(中略)
長時間の労働を強いられるのと同時に子供にも仕事をさせ、世代を超えて貧困から抜け出せない悪循環の問題も深刻だ。
(中略)
タイでは国籍にかかわらず子供は公立学校に通えるようになった。しかし、入学の可否は校長の裁量に任されているうえ、授業はタイ語でハードルが高い。また親たちもこの制度をよく知らず、子供を働き手とする考え方も根強い。
(おわり)

いかに子供を学校に通わせるかは、発展途上国でも成長の遅れた最貧国に分類される国の典型的な課題だ。たとえばある国の典型的な仕事が、もしも12歳でも出来る仕事なら、満12歳で働かされるかもしれない。しかし就学の機会を奪えば、将来彼が生産性の高い仕事につける可能性は奪われる。それが国内の典型的な子供の将来なら、国全体で生産性の高い仕事は将来過少になる。子供を働かせることは、経済成長を遅延させる悪循環の根本だ。

その悪循環が、発展途上国でも成長の著しい新興国に分類されるタイにおいて、ミャンマーからの移民労働者の家計で起こっている。タイでは生産性の低い仕事を移民労働者や人身取引被害者に強制し、タイ経済を支えさせているという実態があり、ここにきて人権問題として注目を集めている。日系企業の直接投資で潤う新興国の陰に最貧国があるのだ、日本人として無視できないだろう。


アファーマティブ・アクションとは貧困層、少数民族などの社会的・経済的地位を引き上げるために実施される積極的差別是正措置のことだ。たとえば途上国A国(近年外国資本の流入で経済成長した結果、外国人よりも地元民であるA国民の社会的・経済的地位が相対的に低い)の政府が公社職員の採用枠を増やし、地元民であるA国民に活躍の場の提供をする形で彼らの社会的・経済的地位を改善するなどである。

マレーシアの国民戦線体制期とは、複合民族社会であるマレーシアが、所得配分と政治権力配分が民族ベースで乖離した情況を、政策的にいかに調整するかという、課題に直面していた時期のことだ。年代としては1970年以降の政治体制を言う。実施された具体的な政策としてブミプトラ政策がある。その内容として、経済活動への国家の直接介入と参加、1970年から1980年までの10年間で公社の数は109社から656社に増え、公社職員はおよそ398000人から757000人に増えた。ブミプトラ政策によりブミプトラ(マレー人)の株式資本所有率が1970年の2.4%から1990年には19.3%にまで上昇した。この間、外資の株式資本所有率は63.3%から25.4%まで減り、資本の移転が外資からマレー人の間で起こったことが成果として挙げられる。当初の政策目標はマレー人による国内株式資本の所有率30%を1990年までに達成することだった。それには到達できなかったものの、ブミプトラ政策は成功した経済政策として語られる。

その後、1990年から2000年にかけては新開発政策(NDP)が実施された。ここでは民営化、地方化、人材開発、高等教育改革、情報通信関連産業集積基地計画などが掲げられ、コンセプトとしては”新しいマレー人企業家像”が謳われた。この政策は民族優遇政策でありながらも市場経済の活用を意味し、グローバル化を考えるなかで国際競争力が問題意識となっていることを感じさせる。また1997年のアジア通貨危機において華人資本を活用する救済措置がとられると、民族優遇政策をいかに調整していくか、民族優遇政策を必要としない民族融和が可能かが議論された。そしてブミプトラ政策は2009年6月、ナジブ政権によって見直しが発表された。具体的には、医療、観光、運輸、ITなど27のサービス産業で「30%以上のマレー人出資規制」が撤廃された。

マレーシアの事例は複合民族社会の政治を考えるさいに重大で、民族融和から国際競争へと政策の主題が「離陸」していくさいにアファーマティブアクションが「滑走路」的に実施されていたモデルケースにあたるだろう。

統計的資料の出典:The Political Economv og South-East Asia. Oxford University Press, 1997, p129

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