法の下の平等
- (日本国憲法においては)今日の民主主義の観念に照らして不合理な差別は許されない(ということ)
- 合理的根拠にもとづく合理的区別(男女の生理的根拠にもとづいて女性にだけ生理休暇が存在する)
資本主義社会からの要請
(市民革命、以来の)人権思想の登場は、(産業革命、以来の)資本主義社会の到来より、古く、資本主義社会から自由と平等を要請されたとは、産業革命に由来する労働者階級と資本家階級の階級闘争(民主主義と自由主義の争い)を通じた自由民主主義の起こりを担保するための「自由権的な自由と平等の要請(国家権力による侵害・干渉を排除して個人の自由な生活領域を確保すること)」、または、その結果として生じた特定の課題である貧富格差などを是正するための「社会権的な自由と平等の要請(国家権力による施しによって人間らしい生活領域を確保すること)」の、いずれなのだろうか?※上段の定義だけ読むと、両方とも類推することができる。
経緯として自由権的な要請だった
身分的差別の撤廃
法の下の平等の原則は、国家権力からの自由と並んで、近代立憲主義の基礎をなすものである。それはとりわけ、旧来の身分差別を否定するものであった。ヨーロッパ諸国で、平等の要求は、「神の前の平等」というキリスト教の観念に裏打ちされてあらわれてくるものであるが、平等の原則を確立せしめた客観的背景は、市民階級に対する身分的差別を撤廃して、彼らの自由で平等な資本主義的経済活動を保障することの必要性であった。【抜粋 末川博編『法学入門 第六版補訂版』第八講基本的人権 法の下の平等 p109-110】
法の下の平等が欽定憲法を貫いて要請された我が国
ヨーロッパ諸国が資本主義の発展に沿って、国家的な法制度を作っていったのに対して、日本では、地理的に島国であるという条件や、江戸幕府の鎖国政策の影響もあって、外国と接触する機会は多くありませんでした。そのため、資本主義市場の発達を支える国家的な法制度が作られるようになったのは明治期に入ってからのことです。【抜粋 伊藤真 著『伊藤真の法学入門:講義再現版 補訂版』第四章「日本における法の歴史と法意識」p25 Ⅱ明治期】
・・・(明治憲法における人の支配、法律の留保、華族制度など)明治憲法は「法の下の平等」とは相違が見受けられるものだった。⇒(経過として)自由民権運動 ⇒外見的立憲君主主義(国家法人説)