多元的国家論と国家法人説の関係性に注目して満州国を巡る当時政党政治の様相

利益構造の多元性を許容した社会統合とは、集団が権益を守ることを否定しない、自由民主主義(集団の権益を守るために代表者を立てること)は手法である。満州事変を契機とする満州国建国(植民地支配、日本語教育など)と五・一五事件(政党政治の終焉)は、満州地域が軍部主導で統治された史実を端的に示すものだ。護憲派の犬養毅首相(当時)は、天皇の軍部への憤りに従い、満州国承認には消極的だった。天皇の意思である軍部への憤慨を熟慮する犬養の胸中は、当時日本の外見的立憲君主制(別の言い方をすれば自由民主主義の在り方)として国家法人説(後述)の提唱がなされていた史実と協奏するものだ。当時日本の多元的国家論とは、天皇を包摂する自由民主主義にも垣間見ることができるし、1920年代東アジアにおける植民地支配にも垣間見れる。日本の植民地支配(韓国・台湾)で1920年代はリベラル価値(民族融和)が念頭にあった。軍部台頭と軍事費のジレンマを抱え込んだ犬養の胸中には、現代的表現でよければ、東アジア経済圏構想(c.f. 産業立国主義、アジア主義)もあったとされる。軍部とは関東軍であるが、前期関東軍(満州事変以前)と後期関東軍(満州事変以後)で九カ国条約(中国の独立と領土保全)への態度は大きく異なり、関東軍(人事)の満州国政策変化は歴史学上の明確な研究課題の一つである。軍部という閉じた系の変容も注目されている。多元主義とは、複数集団の権益を尊重することである。多元的国家論が天皇を包摂するとは国家法人説と関連が深い。国家法人説とは、国家は法人格を有するとみなし、国家機関を通じて団体意思を形成し統治活動を行うとする憲法学説である。当時(外見的)立憲君主制の在り方である。国家法人説は天皇機関説として軍部より排撃の対象となる(c.f.国体明徴運動)。

■対策の要点
明治憲法下の政党政治について。明治憲法では、天皇が首相の任命権を持つこと、議会では貴族院が衆議院と対等な権限を持つこと。この二つで衆議院の立法権が制限されていた事実が、高校日本史の範囲内で明治憲法下の政党政治を説く際に、省略が許されない内容となっている。高校と大学で学習内容の差分が明確なことも理由にあるのか(どうかわからないが)、具体的に「天皇機関説」は編入学試験で狙われやすく、また明治憲法下の政党政治に関して省略の許されない内容になってくると思われる。

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