第二次大戦後の占領軍による「戦後改革」のうち、「経済民主化」が日本経済に与えた影響(変化)について説明しなさい(2019)
経済民主化が日本経済に与えた影響(変化)は、高度経済成長期に因果関係が可視化された。経済民主化とは、①労働者の権利の保障(労働三法)、②自作農の推進(農業生産者が土地所有者)、③財閥解体(安定大株主の禁止)など、自由主義的な市場経済の土壌だ。しかし(i)新卒一括採用の普及、(ii)地縁集団として農村、(iii)メインバンクシステムなど、高度経済成長期の日本は、米国の思惑に対して外見的な自由主義的市場経済に留まっていた。(iii)は典型的で、安定大株主が不在の企業経営者らが経営の安定を考えた結果である。
戦後直後の日本経済は、①戦災国に典型的なインフレーションとモノ不足に苦しめられていたし、占領軍による②民政化(文民統制の民主化)と、③非軍事化(対外戦力の無害化)の影響も受けていて、低成長だった。占領軍の戦後改革は1949年に大きな方針転換をしている。それは冷戦が始まった直後の1949年に、資本主義の貿易グローバリズムへ日本を巻き込んでいくべく方針転換であった。超均衡予算等によるインフレ抑制措置や一ドル360円の固定為替レート設定等の貿易環境の整備等を主導したものであった。さらに1950年の朝鮮戦争勃発による朝鮮特需によって、また日本国経済の自律を推奨したことで、戦前の水準に復興したと言われている。
石炭鉱業は、明治期以来、日本経済に重要な位置を占め、占領・復興期(1945年~1955年頃)においても基幹産業の一つであった。ただし1960年代には日本のエネルギー革命(石油への転換)と割安な海外石炭の輸入増大によって日本の石炭鉱業は基幹産業から一転衰退していく。第二次世界大戦後の占領軍は、日本の石炭を米軍の軍需物質(朝鮮半島における戦争の道具)と考えていたという史実がある。日本国内の石炭に関する調査、報告書、統計に関する保存室など厳重に維持(管理)されていたという史実がある。占領軍による経済民主化が即効性を帯びなかった理由もそうであるが、朝鮮戦争を契機に日本国経済の自律を推奨し後に高度経済成長期(前述の様相)があることからも、占領軍の念頭には対リスクファクター(占領軍からみたリスクファクター、そこには日本も含まれる)があったことは容易に想像できるだろう。
参考:「GHQによる日本石炭鉱業に関する占領政策(1)」(著)大畑貴裕 広島大学経済学会 2018