多文化共生

文化本質主義
異なる文化に属する人びとを、自分たちとは「本質的に」異なる人びとと考えること。別の言い方をすれば、同じ文化に帰属する人は、全く同じ行動や思考をするという考え方。※文化本質主義に対しては、穏やかに批判する論述が答案として無難である。日本国内の文物で「これぞ日本文化」と呼ばれるもののなかで、中国や東アジアの伝来であるものは多く、日本に限らず一概に文化的な文物が近隣諸国と融合的だったり親和的だったりすることが多いから。純粋なものとして文化を定義しながらワールドワイドな人間社会を改めてセグメント化(区分け、仕分け)することに、そもそも意味があるのか、という論点も可能である。

自文化中心主義
※下記解答例参照

文化相対主義
すべての文化が対等で優劣のないものとする考え方(c.f.多文化主義)多文化共生と最もnearly equalな考え方である。

価値相対主義
一人ひとりの価値観を対等に扱う※これに対する穏やかな批判として、人類の普遍的価値(人間社会の最大公約数的な正しさ)の追求までも放棄してしまうという指摘が可能である。


過去問・宇都宮大学国際学部(3年次編入試験・2019年度)
 多文化共生とは何かを論じたうえで、多文化共生においてSNSがもたらす功罪について、具体例をあげながら、あなたの考えを800字以上1,000字以内で述べなさい。

※「事例」とは「過去に実際に起こった出来事の例示」であるが「具体例」であれば「不変の事実」を含む。

解答例(最終更新2020/7/25)
多文化共生とは、国籍や民族などの異なる人々が、互いの文化的なちがいを認めあい、対等な関係を築きながら、地域社会の構成員として共に生きていくことである。ここで課題となるのは自文化中心主義の克服である。自文化中心主義とは、自分の文化や体験が、暗黙のうちに、他者の文化や体験を推し量る基本となってしまうことである。同じ国籍や民族の者同士であっても、たとえば娯楽や余暇の過ごし方など、ある人が無我夢中に取り組んでいることについて、類似の個人的な体験を論って非生産的だ、時間の浪費だとみなしてしまう場面はありがちではないか(c.f.価値相対主義)。こうした考え方を、特に国籍や民族などの異なる人々と関わるうえで(普遍的価値の成立を考える文脈においても)、克服せよということである(c.f.文化相対主義、多文化主義)。
しかし現実世界では、まず生活レベルで「郷に入れば郷に従え」の如く外国人に地元民への同化を求める場面が散見される。あるいは国家が「ナショナリズム」の名の下に同化政策を実施するなど枚挙に暇がない。いままで国籍や民族などの異なる人々が共に暮らすと言っても、外国人側に様々な強制を伴い、前段落の意味で多文化共生的な社会とは言えなかった。
さてSNSがもたらす功罪についてだが、これを考えるうえで、現実世界と違ってSNS世界では個人的に気に入らない人々との接触を回避できる、この特徴は無視できない。確かにSNSは遠く離れた人々との交流を促進するという意味で異文化交流を促進してきたかもしれない。しかし現実はどうだろうか。Twitterでは、まず興味関心の近い人同士のクラスタがあり、さらにその中に親しい者同士の相互フォロー関係がある。こうした関係性を構築するうえで参照するのが、プロフィールに書かれたユーザの特徴、または好きなもの、あるいは過去のツイート情報である。そしてTwitterでは、嫌だと思えばフォロー解除、そのような振る舞いも可能である。Twitterに代表されるSNSのこうした「気に入った人達とだけ関わりあいになれる」という特徴は、自文化中心主義をむしろ育てやすいと思われる。共通点があれば交流しましょうというスタンスのSNSが普及したことの功罪と言えるだろう。

【参考:『多文化共生のためのテキストブック』松尾知明】
【参考:『多文化共生にひらく対話 -その心理学的プロセス-』倉八 順子】
【参考:『「多文化共生」は可能か 教育における挑戦』馬渕仁】
【参考:『多文化共生をどう捉えるか』宇都宮大学国際学部編】

【関連する発展的な出題】埼玉大学教養学部現代社会専修課程(3年次編入試験・2021年度)「ソーシャルメディアは、なぜ社会を分裂・分断させると考えられるか。理由を述べよ。またその具体例をひとつ挙げよ。」


SNSは「スマートフォン依存症」が関連する話題としてホットになりつつあります。現実の直接的なコミュニケーションが苦手になる、知識量不足、漢字が書けない、また物事を深く考えないといった傾向も近年報告されています!「SNS東京ルール」まで知っておくことができると、その方面の話題で正しく勉強したことをアピールできると思います!

烏丸ラポルテ

上述の解答例は、価値相対主義的な考え方の(できる/できない)に立ち入った問題として、SNSの接触忌避性を評価したときに、それが文化相対主義的な考え方の(できる/できない)に発展していく可能性を指摘するものです。SNSで自分と異なった事物との接触を忌避する行為が、そもそも価値相対主義的な考え方の(できる/できない)のどちらが背景としているのだろうか???といったところから一概に言えない部分があるなかで、いずれにせよ、接触が強制される現実的環境で、要は場数の踏めていない人を増やしましたねということです。

烏丸ラポルテ


★ハラルフード★
国際交流を進めるうえで、いま多文化共生とは人びとに広く認知されている。それは単一民族国家の日本も例外ではなく、多文化共生への意識をさらに高めていく必要がある。 2019年に区民のほぼ1割が外国人となった東京都の新宿区や、ブラジル人が多数暮らしている群馬県の大泉町など、全国に外国人がおおぜいで暮らしている地域がある。いま多文化共生の考え方は尊重されるべきであるし、具体的な多文化共生の取り組みも数多く存在する。 たとえばイスラム教で食べるのを許されている料理のことをハラルフードと呼ぶが、飲食店でハラルフードのメニューを提供している場合がある。イスラム教の信者が食事をしやすいようあらかじめ配慮した飲食店の取り組みは、多文化共生の具体的な例だといえる。宗教や信仰が違ってもそれをしっかり受け入れようとすることは、国際交流を進めるうえで、ひいては国際社会を形成していくうえで必要不可欠だ。 他にも国際交流のためのイベントが開かれるなど、多文化共生のまちづくりを促進する取り組みは全国各地で見受けられる。