食ポストモダン

国民生活が豊かになると食も豊かになる。国民のために調達すべき食糧は経済の成長と共に変わる。特に穀物から肉への変化がよく語られる。確かに日本の一人当たり米消費のピークは昭和37年(1962年)、その一方で一人当たり牛肉消費のピークは平成12年(2000年)だ。この間に日本の食は米が減り牛肉が増えていたはずだ。そして日本の食料自給率は昭和40年(1965年)の73%から平成12年(2000年)の40%まで長期的に下降した。ここで食にまつわる様々な議論を端折って考えれば、これは単に需要と供給の質的なギャップが国内で埋まらなかったのだろう。需要が不得意分野にシフトするも供給が得意分野で硬直し輸入に頼ったのだ。

経済成長に伴う国内食需要の質的変化に直に対応する外食、販売などビジネスがソフトなのに対し、もともとハードだった農業は、それに加えて利益追求というよりはむしろ地縁的な農村でさらに剛体と化していたと思う。ここでもしも政府政策を言及するならばGHQの農地改革まで遡らなければならないだろう。要は戦勝国アメリカが民主化政策の一環で農家の自立生活を保障するに資本主義的農業経営を諫めたことが日本の食糧生産を剛体化させた。実際アグリビジネスという考え方が90年代以降日本でやっと普及した経緯も高齢化農村を希少な若手が切り盛りするに解決方策だったと筆者は思う。

さて経済成長局面を一旦終え、長引く不況から、格差拡大局面に突入した日本の食はさらに質的に変化するだろうか。上図は国民生活基礎調査で「(生活が)大変苦しい」「やや苦しい」と答えた世帯の割合(縦軸)と国産牛の枝肉生産量(横軸)の年次データに基づく散布図である。いま国民生活の厳しさが増し同時に国産牛の流通減が起こっている。実際国産牛は大抵1グラム10円以上かかるから高額で、しかも年々値上がりして生活の苦しい世帯からは遠ざかる一方だ。

しかし外国産であればたとえばペッパーフードサービス社が運営する「いきなりステーキ」はアメリカ産牛肉1グラム6.9円程度の値付け(2020/11/05調べ)。また松屋フーズ社が運営する「松屋」は並盛とあたま大盛の差分でアメリカ産牛肉1グラム3.3円程度の値付け。マクドナルドはダブルチーズバーガーのパティ倍で90g100円だからオーストラリア産牛肉1.1円程度の値付けだ。まるで格差拡大する日本社会で全ての人が牛肉を食べられるよう「牛肉格差」が出来上がっているかのようだ。

だから国民のために調達すべき食糧は経済の成長と共に変わっても貧困に対しては不可逆かもしれない。「牛肉格差」とはそれを端的に示している。ならば、いつか牛肉の廉価大量販売が金塊と目される世界で、日本はいつまでもガラパゴスでいらない。むしろ科学技術革新を念頭に置く日本版アグリビジネス「スマート農業」が、所謂「食の安全」や「高級食材」といった食のモダンを思想として継承しつつも、国内はおろか新興国に廉価牛肉を大量に配る「あの安全で美味しい日本産牛肉がこのお値段」の食ポストモダンを脱構築するだろうと筆者は思う。あるいはそのようなオプティミズムこそ、日本の食への神経症傾向を脱却する試みだから、もうポストモダンなのである。
参考:
『データ農業が日本を救う』窪田新之助(インターナショナル新書)

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