氷解する自己責任論の雫

2015年頃から働き方改革が推進され「同一労働同一賃金」という文言は流行した。ずっと以前から正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間の賃金格差は問題視されていた。しかし、いま説かれる「同一労働同一賃金」からは「自己責任論」の分厚い氷を溶かす情熱が感じられる。
2000年代前半の小泉内閣期に増えた非正規雇用労働者は、2000年代後半のリーマンショック不況で生活困窮者として可視化された。非正規雇用労働者たちは過酷だった。それでもなお日本社会は、柔軟な雇用と働き方を促進するに公正公平な待遇保障が必要不可欠という真実に到達できなかった。なぜなら「自己責任論」の分厚い氷が真実を覆っていた。
バブル崩壊に端を発した平成日本経済とは「失われた30年」と呼ばれるも「忍耐の30年」がより適切な表現だ。平成人は政治のリーダーを信じ、耐え、そして裏切られてきた。政治のリーダーが金融、行政、サプライサイドを次々政策軸とし、そのぶん「働きやすさ」「生きやすさ」を後回しにしても、一旦は耐える、その繰り返しだった。その忍耐は成功した平成人のプライドであり「自己責任論」の分厚い氷をより強固にした。
しかし正規-非正規の所得格差は教育格差と大いに関連する。2016年頃の統計によれば正規雇用労働者とは中卒の3人に1人、高卒の2人に1人、大卒の4人に3人だ。ここに立ち入った自己責任論者は次の討論を回避できない。つまり親が高所得なら子が高学歴になるチャンスに恵まれる傾向である。この傾向は自己責任を問えないほど顕著か、または自己責任を問えるほどに穏やかか。
ところが闊達な議論というよりはむしろ高所得親から高学歴子が生産される傾向はいま容認されつつある。ベネッセ教育研究所と朝日新聞社がおこなった「学校教育に対する保護者の意識調査2018」によれば、「所得の多い家庭の子どものほうがよりよい教育を受けられる傾向をどう思うか」を「問題だ」とする保護者の割合は2008年に53.3%だった。しかし2018年には34.3%まで落ち込んだ。その一方で「(今後の日本社会はどのように変化するかという文脈で)貧富の格差が拡大するか」という問いに対しては「とてもそう思う」「まあそう思う」の合計が85.0%に達していた。結論から言うと、いま格差社会に立ち向かう家族らに、少なくとも世代を跨いだ教育機会格差の解消など、そのような「原因の原因」からなんとかしようという気力は無いのである。高所得親は自分のカネで子が勝てばよい。低所得親はなるようになればよい。
ここで政府は政策の父親的温情主義に限界を悟るべきだ。格差是正のため子を教育せよ、高い教育を与えよ、そのように各家庭に「のしあがり」を期待しながら、たとえば公教育を無償化しても、そもそもそんな考え方は響かなくなってきたのだ。もはや政府政策で正規ー非正規で所得格差を解消しようと思えば、ただ正規ー非正規で賃金格差を解消する他ないのである。だからここにきて「自己責任論」の分厚い氷も成功した平成人のプライドもろとも解かすほかないのである。そしてこれが対処療法にとどまらない政府の貧困対策のパラダイムシフトであることを筆者は願う。
参考:
『平成の教訓 改革と愚策の30年』竹中平蔵(PHP新書)
『教育格差の経済学』橋本俊詔(NHK出版新書)
『平成論 「生きづらさ」の30年を考える』池上彰、上田紀行、中島岳志、弓山達也(NHK出版新書)

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