科学

自然科学は、計量できない部分を切り捨てる「科学的自然」を対象にしている。ところが、「科学的自然が世界のすべてである」と考えることが広まり、人びとを支配することで、「人間(人間性)の疎外」が起きるという命題は、1970年代にはヒューマニズムの課題として挙げられていた。

社会学の創始者コント(1798~1857)は、フランス革命の前に存在した中世的な社会秩序が、革命で崩壊したあと、新たな社会秩序が定着できていないと考えていた。筆者なりに、どういうことかと思えば、フランス革命の後、議会制民主主義の国家を有産階級の主導で、苦心してつくりあげていくなか、産業化によっても社会が変化し、賃金労働者階級という対立層が沸き上がってきたという史実のことかと思える。そして、包括的な秩序に相応しいものを世界が発見できたとは言い難い現代がある。しかし、コント自身は、共産主義の前身になるようなマルクス(1818~1883)の資本主義批判の問題意識を持っていたとか、賃金労働者階級の憤慨を直視していたとか、そのようであったとする文献は少ない。あくまでコントは、理系的、または工学的、あるいはそれら両方の立場で物事を分析したり、発明品を活用したりすることを社会の最良な状態だとした。筆者は、コントの考え出した秩序はもっとずっと長期的で巨視的なものであると推察する、そして社会が駆動する蒸気機関に満たない失望のような感覚だったのではないかということだ。

逆に、科学に対して失望のあった哲学者とはフーコー(1926~1984)であり、彼は、近代の社会では理性を基準にしてすべてが判断されることにより、狂気や犯罪、病気などが異常なものとして排除される、理性は歴史の過程の産物であり、科学とは理性の根拠として権威性を帯びていると、考えた。そして、科学による支配を、人びとの自律を奪う「虚無」と位置付けたのである。フーコーは、ニーチェ(1844~1900)の言う「ルサンチマンと超人」の関係性と同様に、「虚無の中で自己の在り方を決断する」ことの重要性を説いた。コントが批判した「啓蒙思想」を軸に、コントとフーコーは転回することができる。

しかし、コントとフーコーは「芸術」をもってして同席することができると筆者は思う。ルネサンス時代は、古代ギリシアの学問・芸術の「再生」であるとし、中世神学による人間の抑圧に抵抗することを宗とする「自我の能動」を、ギリシア人哲学の「(普遍的理性を想起する)理性の能動」に取って代えながら自由と創造を擁護した。これは科学的な世界観の土壌であったと多くが認めている。

人間(人間性)を抑圧することと、人間(人間性)を疎外することとは、共に「人間の解放と人間性の尊重」に反するという点で、悪い意味で同席していて、科学技術の「光」に対しては影のような存在であり、現代ヒューマニズムの課題として道徳が二つの軸を持つべきだと気付かせてくれる。芸術に「和の精神」や「社会包摂」を持ち込むことは、いま確実に善いことだと言えるし、逆説的になるが高度情報化社会の科学技術が効率を追求するWEBアプリケーションの中に閉じ込められているという洞察も不可欠なものだろう、いま「よいもの」とされるものを諦めていく時期に来ていると筆者は考える。

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