承久の乱(鎌倉時代)

1198年後鳥羽上皇の院政がはじまる

1219年三代将軍源実朝の暗殺事件

1221年承久の乱(lose 後鳥羽上皇 vs 北条泰時 win)

⇒戦後処理
・隠岐に流される
・六波羅探題設置

・後堀河天皇の擁立
第86代後堀河天皇
第87代四条天皇(子。12歳で崩御。在任期間中1235年に当時朝廷を主導していた九条道家は後鳥羽上皇の帰京を幕府に提案する。提案は却下された)
第88代御後嵯峨天皇(後鳥羽上皇の孫)
                            
後嵯峨天皇は二人の子どものどちらが次に院政を行うか決めなかった。その後の皇位は持明院統と大覚寺統の双方から継承された(先を争って鎌倉に使者を送る様は「競馬のごとし」と言われた。朝廷側だけでは院政担当者(治天の君)を決定できなかったため)

東大の日本史27カ年[第7版] 塚原 哲也 (著)
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