相互確証破壊
核戦略構想の一つである。2つの核保有国の双方が、相手方から核先制攻撃を受けても、相手方の人口と経済に耐えがたい損害を確実に与えるだけの核報復能力を温存できる状態。これにより恐怖の均衡をもたらし、核抑止を安定化させると米ソ冷戦時代以来の当局者は説明してきたが、アメリカのブッシュ政権は相互確証破壊だけでは核兵器の抑止に十分でなく、ミサイル防衛などが必要だと主張していた。
権力移行論(power transition theory)
アメリカの政治学者、A・F・K・オーガンスキーが説いた理論。権力分布の急変というシステム要因が国家を武力行使への誘因を高める結果、戦争勃発の確実性を高めてしまう因果プロセスを説明するもの。国家は力をつければつけるほど現状の秩序に不満を持つようになり、戦争のコストが低くければ低いほど、秩序の再編を求めてあえて戦争を選ぶ可能性が高くなる。そして国家指導者の決定は、軍事力が政治目的を達成する手段として合理的かどうかに大きく依存するのである。
軍縮の動き
軍縮(軍備縮小)とは、一般的には国際的な合意の下で特定の軍備の縮小、または兵器の削減を行い、さらにはそれを廃絶することを意味する。軍縮の考え方が本格的に発展したのは、18世紀以降のヨーロッパにおいてであった。以来今日に至るまで、特に大戦争の後などに繰り返し強調されている。第二次大戦後、東西冷戦期は米ソを中心とした核大国間の戦略均衡の仕組みを作ることが重視された。冷戦終結後は軍縮の側面がより重視され、中距離核戦力全廃条約などが成立した。
アジア・アフリカ会議
1955年4月、インドネシアのバンドンで開かれたアジア・アフリカの29か国による会議。「バンドン会議」ともいう。反植民地主義、民族主権の確保、平和共存、経済文化協力を決議し、「世界平和と協力の促進」の共同宣言(バンドン十原則)を決議した。継続的に開催される予定であったが、中印国境紛争など、各国の指導者間の統一が乱れ、1964年に予定されていた第2回会議とそれ以降は開催されなかった。
緊張緩和
対立する国家間の緊張が緩和することを指す。特に第二次世界大戦後における米ソ間の東西冷戦が終焉し、世界が多極化の時代に入ってから両国間の緊張が緩み、相互の了解によってその危機を管理するという政策に用いられた。この言葉を外交用語として初めて用いたのはフランスの C.ドゴール大統領で、米ソ対立構造のなかでフランスの発言力の強化を図る目的から用いられた。さらにこれを国家の基本戦略の柱として捉えたがアメリカのニクソン政権であると言われている。
極構造
国際体系の構造を指す。第二次大戦後の米ソ冷戦時代のような、国際社会が二大勢力の対立で二分化された状況を「二極構造」、1970年代以降、米ソ以外の中国、西ヨーロッパ、日本などが国際政治の主要な勢力と認められるようになり多極化した状況を「多極構造」という。「単極構造」は冷戦終結後のアメリカを中心とした国際体系が近いものとされている。旧ソ連崩壊後、アメリカは国内経済の立て直しを図り、史上最長の好景気を実現した。
※国際関係!徹底マスター用語解説で、用語は、国際関係のファカルティの編入学試験で出題された過去問題から選んでいます。