問 食事の文化的な意味について論じなさい
解答例
文化人類学の分野で論じられる食事の文化的意味とは、他者認識(食事内容の違いで他者を知る)、親和性(同じ食事をする者同士は社会的文脈で近しい)、宗教、身分、性差などである。食事の文化的意味とは、食事を起点とし社会の中で共有される考え方や価値基準を考えたとき、それらを再度食事に帰結させて論じるということである。夕飯のカレーライスは家庭の食事として定番だ。家族一同の食事は、大人の独身世帯であれば、希薄、疎遠になる事象だ。しかし、勿論人による話ではあるが、食事をしていて不意に家族を思い出すこともあるはずだ。夕飯のカレーライスは家庭という単位を思い出させるものである。大なり小なり家族一同の食事とは他人と似通うものである。夕飯のカレーライスとは、それ自体に文化的な意味(社会の中で共有される考え方、ここでは家族一同で食事をする価値)を伺うことができる。食事が論考の単に起点となればよいのであれば、阪神甲子園球場でビール販売の売子の掛け声を聴く楽しさを起点として野球観戦を論じることができる。さらに夏のスポーツレジャーの価値観を表象するものとして阪神甲子園球場の売子を論じることができたのであれば、論者なりにビール販売の文化的意味(娯楽の表象としての食事)に立ち入ったとみなせるだろう。フードデリバリー(中食)は、社会の中で食事に便利さを求める考え方や価値基準を人々に与えた。現代経済活動の表象としての食事だ。
かラスマタケオ
よく編入学試験の答案として「これで合格に値するのですか?」と聞かれることもあります。しかし、そのように質問する受験生は、どちらかと言うとブラッシュアップの方向性が掴めていない(⇒面倒くさい、ゴールだったらいいのにな)ことがほとんどだと思います。
…上手く書けたと思ったんですけどね。
ネペンテス
かラスマタケオ
「夕飯のカレーライス」や「阪神甲子園球場のビール」と言ったものが、独創的着想と言うよりは独自の着想なのではないかな。独創的着想とは、専門家によって注目されていた(考えるに値する)課題に対して自分の考えをはっきり言うことです。独自の着想とは、既存の専門家をまるっきり無視するような考えのことです。この解答例はその辺りで全く評価が読み切れないです、少なくとも大学院生や大学院入試の受験生がこれをやってしまうと苦戦は必至です、どうしてかと言うと、たとえば院試の研究計画書であれば「○○という論文でこのような課題は指摘されていた」と伝わる文章が必須だからです。つまり解答例が院試の研究計画書であれば「夕飯のカレーライスを文化的表象として捉える既存研究として○○があるが」など書けないと、それだけで、「これはあなたの「独自」のものですね」と言われてしまうかもしれませんよ。※私の時代だと「あなたのやりたいことは▽▽という分野でさんざん研究されたことです」と不勉強をあぶり出すように問い詰めます。