大航海時代の背景
大航海時代が生じた背景には、アジアとヨーロッパの経済の関係が重要な役割を果たしています。以下に、その主な要因をいくつか挙げます。
- アジアの富とヨーロッパの需要: 大航海時代以前、ヨーロッパも有力な経済圏でしたが、アジアも繁栄した一つの有力な経済圏でした。中国やインドなどの国々は高度な文明を持ち、豊富な資源を提供していました。一方で、ヨーロッパでは人口増加から需要が高まり、アジアの香辛料、絹、陶磁器などの商品に対する需要が増加していました。
- シルクロードと東西交易: シルクロードを通じて、古代からアジアとヨーロッパの間で交易が行われてきました。しかし、中世になると、イスラム帝国の台頭やモンゴル帝国の成立などの要因により、中央アジアの交易路が安定し、東西交易が活発化しました。
- イスラム商人の活躍: イスラム商人は、アラビア半島からインド、中国、東南アジアに至る広範な商業ネットワークを構築し、アジアとヨーロッパの間の交易を仲介しました。彼らはイスラムの商業法に基づいて商売を行い、貿易路の安全確保や商品の流通を促進しました。
- ヴェネツィアとジェノヴァの商人: ヴェネツィアやジェノヴァなどのイタリアの商人たちは、イスラム商人との密接な関係を築き、アジアとヨーロッパの間の貿易に参加しました。彼らは東方への交易路を支配し、アジアからの貴重な商品をヨーロッパにもたらしました。
これらの要因が組み合わさり、アジアとヨーロッパの経済的関係は大航海時代の背景を形成し、ヨーロッパ諸国の航海と探検の動機となりました。彼らは、アジアからの貴重な商品に直接アクセスすることで、中間商人(イスラム教徒の商人やイタリアの商人)が得ている利鞘(中間マージン)をバイパスしたかったのですね。
それら支払いのための大量の金を調達したいということもありました。また食料品として小麦と砂糖も大量に調達したいということもあり、当時ヴェネツィアが地中海ビジネスとして行っていた「島を植民地にして、奴隷を用いて生産する」ということを大西洋・インド洋で行うという壮大なプロジェクトもありました。
ポルトガル
大航海時代にポルトガルが海外進出した動機、実現の要因、帰結、衰退について以下にまとめます。
動機
- 東方貿易の独占: ポルトガルは、アジアからの貴重な商品(香辛料、絹、陶磁器など)を取得するために、イスラム商人やヴェネツィアなどの中間商人を排除し、直接アジアに到達することを目指しました。
- 宗教的動機: ポルトガルはキリスト教の布教を促進し、異教徒を改宗させることを目指しました。特に、アフリカやアジアの探検や植民地化において、宗教的な使命感が重要な要因となりました。
実現の要因
- 航海技術の向上: ポルトガルは航海技術の発展に貢献し、新しい航海技術や船舶の改良により、長距離航海を可能にしました。
- インフラの整備: ポルトガルはリスボンやポルトなどの港湾施設を整備し、航海と交易を支援するためのインフラを整えました
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王室の支援: ポルトガルの王室は航海や探検を支援し、特にヘンリー航海王子の指導のもと、探検家や航海士を後援しました。
帰結
- 海上帝国の成立: ポルトガルはアフリカ、アジア、南アメリカなどの植民地を築き、海上帝国を形成しました。彼らは貿易の独占と植民地支配を通じて富を蓄積しました。
- 文化交流と技術伝播: ポルトガルの探検家や商人は、アフリカやアジアの文化と技術をヨーロッパにもたらし、地理的発見と文化交流を促進しました。
衰退
- 競争の激化: 他のヨーロッパの列強国(特にスペイン、オランダ、イギリス)も海外進出を開始し、ポルトガルの貿易と植民地支配に競争が激化しました。
- 植民地の独立: 18世紀から19世紀にかけて、ポルトガルの植民地は独立運動が活発化し、植民地支配が衰退しました。
- 貿易の制限: 他のヨーロッパ列強による貿易の制限や、インド洋での海賊の活動など、ポルトガルの海上貿易が制約を受けるようになりました。
ポルトガルの海外進出は、大航海時代の重要な出来事の一つであり、世界史におけるポルトガルの地位と影響力を確立しましたが、競争の激化や植民地支配の衰退により、その影響力は次第に衰えていきました。
スペイン
大航海時代にスペインが海外進出した動機、実現の要因、帰結、衰退について以下にまとめます。
動機
- 豊富な資源の探求: スペインは、アジアや新大陸(アメリカ大陸)における豊富な資源(金、銀、貴金属など)を探求し、獲得することを目指しました。
- 新たな貿易ルートの確立: 東方への貿易ルートを確立するために、アフリカの周りを回らずにアジアに到達することを目指しました。また、新大陸を通じてヨーロッパとアメリカの間の貿易を開始しました。
- 宗教的・文化的動機: スペインはキリスト教の布教を目指し、新大陸での宣教活動やキリスト教の伝播を推進しました。
実現の要因
- ナビゲーション技術の向上: スペインは航海技術の発展を促進し、新大陸やアジアへの航海を可能にする技術を開発しました。特に、コロンブスの航海やマゼランの遠征がその例です。
- 王室の支援: スペインの王室は航海や探検を支援し、特にイサベル女王とフェルナンド王の時代には多くの航海家や探検家が後援されました。
- 金銀の発見: 新大陸での探検によって、大量の金や銀が発見され、スペインの財政を豊かにしました。
帰結
- スペイン帝国の成立: スペインは新大陸やアジアの多くの地域を植民地化し、スペイン帝国を築きました。スペインの植民地支配は、豊富な資源や財宝を得るだけでなく、スペイン文化の拡散や宗教的影響力の拡大にも貢献しました。
- グローバルな貿易ネットワークの形成: スペインは、新大陸とヨーロッパの間にグローバルな貿易ネットワークを構築し、世界各地との交易を促進しました。
- 文化交流と技術の伝播: スペインの探検家や植民地支配者は、アメリカ大陸やアジアからヨーロッパに新しい文化や技術をもたらし、地理的発見や文化交流を促進しました。
衰退
- 財政上の問題: 金銀の流入により、インフレや財政上の問題が発生しました。
- 競争の激化: 他のヨーロッパ列強国の海外進出により、スペインの植民地支配と海外貿易が競争にさらされました。
- 独立運動の拡大: 18世紀から19世紀にかけて、スペインの植民地は独立運動が活発化し、スペイン帝国の支配が衰退しました。
スペインの海外進出は、大航海時代の重要な出来事の一つであり、スペイン帝国の成立や世界史におけるスペインの地位と影響力を確立しましたが、財政上の問題や競争の激化、独立運動などにより、その影響力は次第に衰えていきました。
オランダ
大航海時代にオランダが海外進出した動機、実現の要因、帰結、衰退について以下にまとめます。
動機
- 貿易の拡大と利益の追求: オランダは、アジアや新大陸での貿易を通じて利益を追求しました。特に、アジアの香辛料や東インド貿易における利益が大きな動機となりました。
- 富の蓄積と経済的利益: オランダは、貿易によって富を蓄積し、経済的な利益を追求しました。
- 政治的・宗教的な動機: オランダはスペインに対する独立闘争の一環として海外進出を行い、また、宗教的な自由を求めるプロテスタントが海外への移住を求めました。
実現の要因
- 商業革命の発展: オランダは商業革命の中心地の一つであり、商業の発展と資本主義の台頭によって海外進出を促進しました。
- 航海技術の向上: オランダは航海技術の発展に貢献し、新しい船舶や航海装置の開発によって、長距離航海を可能にしました。
- 東インド会社の設立: オランダ東インド会社が設立され、アジアでの貿易を独占し、植民地支配を行うための基盤が整えられました。
帰結
- 東インド貿易の独占: オランダはアジアでの貿易を独占し、東インド貿易を通じて莫大な利益を得ました。特に、スパイス貿易における利益が顕著でした。
- 植民地の形成: オランダはアジアや新大陸に植民地を築き、経済的な利益を追求しました。彼らの植民地支配は、地域の経済や文化に大きな影響を与えました。
- 商業と文化の交流: オランダの海外進出は、商業と文化の交流を促進し、オランダの経済的な発展と文化的な繁栄に貢献しました。
衰退
- 競争の激化: 他のヨーロッパ列強国の海外進出により、オランダの貿易と植民地支配が競争にさらされました。
- 経済的な衰退: 18世紀には、オランダの経済的な地位が衰退し、他の列強国に取って代わられるようになりました。
- 植民地の喪失: 18世紀後半には、オランダの植民地支配が次第に弱体化し、多くの植民地が独立を求めるようになりました。
オランダの海外進出は、大航海時代の重要な出来事の一つであり、オランダの経済的な発展や文化的な交流に大きな影響を与えましたが、競争の激化や経済的な衰退により、その影響力は次第に衰えていきました。
イギリス
大航海時代にイギリスが海外進出した動機、実現の要因、帰結、衰退についてまとめます。
動機
- 商業的利益: イギリスは、アジアや新大陸の貿易から利益を得ることを目指しました。特に、アジアからの香辛料や東インド貿易における利益が大きな動機となりました。
- 植民地の確保: イギリスは、新大陸やアジアの植民地を確保し、経済的な利益を追求しました。また、植民地はイギリスの影響力を拡大するための基盤となりました。
- 宗教的動機: イギリスはキリスト教の布教を促進し、新大陸での宣教活動や改宗を目指しました。
実現の要因
- 航海技術の向上: イギリスは航海技術の発展に貢献し、新しい船舶や航海装置の開発によって、長距離航海を可能にしました。
- 商業革命の発展: イギリスは商業革命の中心地の一つであり、商業の発展と資本主義の台頭によって海外進出を促進しました。
- 東インド会社の設立: イギリス東インド会社が設立され、アジアでの貿易を独占し、植民地支配を行うための基盤が整えられました。
帰結
- 帝国の成立: イギリスは新大陸やアジアの多くの地域に植民地を築き、大英帝国を形成しました。イギリスの植民地支配は、経済的な利益を追求するだけでなく、イギリスの政治的な影響力を拡大しました。
- 貿易の拡大: イギリスは世界中に貿易ネットワークを築き、グローバルな貿易体制を構築しました。特に、東インド会社を通じた東インド貿易がイギリスの富を築きました。
- 文化交流と技術の伝播: イギリスの海外進出は、商業と文化の交流を促進し、世界中で技術や文化が交換されました。
衰退
- 独立運動の拡大: 18世紀から19世紀にかけて、イギリスの植民地は独立運動が活発化し、イギリスの植民地支配が衰退しました。
- 経済的な変化: イギリスの経済は産業革命の時代に入り、工業化が進む中で、海外進出に対する関心が低下しました。
- 競争の激化: 他の列強国の海外進出により、イギリスの植民地支配と海外貿易が競争にさらされました。
イギリスの海外進出は、大航海時代の重要な出来事の一つであり、イギリスの帝国の成立や経済的な発展に大きな影響を与えましたが、独立運動や経済的な変化、競争の激化により、その影響力は次第に衰えていきました。
国際商業センター
ポルトガル・スペインは、国内で流通の拠点(大陸内にある海洋貿易の結節点=国際商業センター)を築かなかったため、オランダ・イギリスに取って代わられたという考え方があります。
大陸内にある海洋貿易の結節点
- シャンパーニュ(11世紀~13世紀)
- ブリュージュ(13世紀~15世紀)
- アントワープ(アントウェルペン 15世紀~ネーデルランド独立戦争)
- アムステルダム(ネーデルランド独立戦争~イギリス産業革命 ※英蘭戦争に原因があるとする文献は少ないです)
参考文献
『一般経済史 (MINERVAスタートアップ経済学)』 河崎信樹 (編集), 奥 和義 (編集)