継承の庭

 夏休み、小学六年生の則夫(のりお)は、大切な家族旅行に出かけた。則夫は、小学一年生の恵奈(えな)と父、母と一緒に、広島県広島市の平和記念公園を訪れていた。この旅行は、夏休みが始まる少し前に、父が家族を連れて行こうと言い出して実現した。家族の住む埼玉県から自家用車で、高速道路を乗り継いで、片道で丸一日かかる距離を移動した。

 戦後八十年を迎えた今年、平和記念公園には観光やその他の目的で訪れる人々が後を絶たない。世界では今も戦争が繰り返され、ニュースでは連日、戦火や対立の報道が流れている。資料館も、外国人の観光客と思しき人達で混んでいた。資料館は八十年前の広島の惨状を、可能な限り鮮明に伝えるのだ。人々は真剣な眼差しで展示物を見ていた。

 煙は黒味がかった朱色だった

 爆心地の数km圏内は死体の山

 それでも助かりたい一心で焼けただれた人達が逃げ惑った

 写真を撮影したカメラマンはあまりの惨状にシャッターを躊躇った

 家族とはぐれた人もいれば、最後まで懸命に助け合う家族もいた

 絶望のあまり感情を無くした人も大勢いた

 家族旅行の発端は学校の授業だった。ある日、恵奈は学校で、日本も昔は戦争をしていたと学んだ。授業では、担任の教諭が、被爆直後の様子を黒板にチョークで図示して説明した。

「午前八時十五分、広島に原子爆弾が投下されました。爆弾はドカーンと破裂し、空には大きなキノコ雲が立ちのぼり、地上では何十万人もの住民が被爆したのです」

 黒板には白いチョークで描かれたキノコ雲。教諭は、ありったけの画力で、見る者におぞましさが伝わるように描いてみせた。

「爆弾は爆弾でも、とてもとても大きな爆弾です。もちろん、大きくても小さくても爆弾は恐ろしいものですがね」

 教諭は続けて語った。
「今、世界では戦争のニュースが絶えません。でも日本も、かつては戦争をし、核爆弾を受けて降伏したのです」

 そして教諭は『夏の花』という題名の本を手に取ると、最前列の生徒に手渡した。教諭は、当日の様子をお話にした本がありますと厳かな声で言う。そして『夏の花』を教室の生徒達に回覧させながら、本の一部を紹介した。火傷をした罹災者の腕は酷く化膿し、蠅が群れて、とうとう蛆が湧くようになった。蛆は、いくら消毒しても、後から後から湧いた。そして、罹災者は一カ月余りの後、死んで行った。

「戦争は、一度起きると、沢山の人が亡くなります。その人達は、そこで暮らしていただけで、間違った人達では断じてないのですね」

 この言葉に恵奈はハッとして、手を挙げて教諭に質問をしようとしたが、他のクラスメイトの一人が手を挙げて発言した。

「国を戦争へと導く人が悪いよね、先生!」

 教諭は、うんと頷いて、

「よく知っているね。戦争をしたくない人が大勢いても、その声が国を動かしている人の耳に届かないと、国は戦争をしてしまうかもしれないのです。今もそのような国がいくつもあるのですよ」

と言って授業を締めくくった。恵奈は、何故戦争が起きるのかと聞きたかったから、国を動かしている人達の過ちという考え方をここで知った。

 下校の時刻になって、外は、少し降った雨が上がって晴れていたが、恵奈の心はそうでもなかった。恵奈は、水溜まりを避けて歩くたびに微かに映る顔と目が合った。友達のいつもの甲高い声も聞こえず。遠くの国には間違った人が沢山住んでいて、間違った人達で戦争をしていると思っていた。しかしながら昔、日本も戦争をしてしまった。教諭は、戦争をしたくない人の声が、国を動かす人の耳に届かないときが危ないと教えてくれた。

 その日の晩、夕食の時間に、恵奈が父に学校で習ったことを話した。母が運んでくる夕食の盛られた食器がカチャカチャと音を立てながら、父は流暢に説明した。

 太平洋戦争の後は、いくつかの国が核爆弾を保有する「核の時代」になった。核保有国は、私達の国に攻め込むと核爆弾で反撃するぞ脅しをかける。彼らは、核を持たない国に対して、まずいくつかの国を傘下に置いて敵が来たら守る約束をした。その後は、どこの傘下にもいない国を侵略したり、国同士を戦わせたり、ある国の中で起きた紛争に介入したり、逆に見て見ぬふりをしたり、様々な方法で世界を動かした。彼らに対する憤慨は、時に宗教と結びつくなどして、彼らはテロリストによるテロの標的になることもあった。核の時代は、核爆弾による戦争、核保有国同士の核戦争がとうとう起きてしまうか、世界中で核爆弾が放棄されるか、いずれかの未来によって、終わるといわれている。

 則夫は、恵奈の顔が曇っていくのを見て、箸を止めることなく茶碗の飯を口に運んだ。

 父は説明を加えた。かつて世界で勃発した第二次世界大戦は総力戦と呼ばれ、あらかじめ用意していた戦争のための爆弾や戦闘機を使い尽くした後、負けるわけにはいかないと言って、後から後から爆弾や戦闘機をつくりながら戦った。この総力戦を終わらせるために、核爆弾が投下された。その日を境に、世界は核の時代になった。

 恵奈は茶碗の白米を見つめると、不意に教諭の話も思い出した。恵奈は、不安でいっぱいになって、日本は国を動かす人達が間違えたのかと聞いたが、父は、太平洋戦争がなぜ始まったのかは、お父さんもきちんと知らない、でも戦争がしたい人なんて周りにはいなかったと、恵奈の曾祖母(父の祖母)から聞いたと答えた。

 父は、戦争の話を終えて、恵奈を元気づけようとして、恵奈が日曜日に楽しそうにみているアニメも世界中で放送されているとか、好きなキャラクターのキーホルダーは外国に作ってもらっているとか、そんな話をした。父は、今の日本は外国とうんと仲良しだよと言った。恵奈は、それを聞いて少し安心した様子だった。則夫は、静かに聞いていたが、この日は食べ終わるのが早かった。

 夕食の後、子ども部屋の机に向かって、考え込むような姿勢のまま座っている恵奈が、則夫には嫌な予感がした。お気に入りのキーホルダーを机に並べたり、手に取って眺めたり、それでいて明るい様子はなく陰鬱な気配が漂っていた。

 則夫は兄らしく、夏休みになったら友達と遊んだらいい、俺も野球の試合があると言った。すると恵奈は、なんとなく手に取って眺めていたアニメのキーホルダーをカシャッと机に置いて、

「お兄ちゃんは戦争をどう思うの?」

と言う。優しい兄に、恵奈は唐突だった。確かに父は流暢に説明していた。真剣な顔で則夫を見た恵奈は、鋭い口調で言った。

「戦争とは、どこか遠くの国で、間違った人達でやっていることだと思っていたの」

 それから恵奈は、戦争を繰り返す国は犠牲者を何とも思っていないのかと尋ねた。則夫は、恵奈の怒りや不安を察しながらも、知らねぇと言って、目を逸らした。則夫は、励ますつもりだったが、やはり恵奈は戦争への憎しみに没頭していた。恵奈はまだ小さい、社会も世相も知らないが、無理もないか、則夫は、やれやれと思った。目を逸らした視線の先にあるキーホルダーは、恵奈の指先から離れて、机の上で動かなくなっていた。

「戦争の話なんて忘れて、アニメでも見てろよ」

「待って、お兄ちゃんは被爆した人達の痛みがわからないの?」

「わかるわけないだろう」

「どうして?」

「被爆したのが俺じゃねぇからだ」

 そしてしばし沈黙がやって来た。次第に、母が、片付けた食器を洗って、すすぐ音が聞こえてくる。則夫は、戦争がどうとか、暮らしていた人々が可哀想だとか、そんなことを考えていても仕方がないと思った。ただ上手く言えそうになかった。

 則夫は、野球の練習でもしようと思った。則夫は素振りをしてくると言って、バットを握って駐車場のスペースへ向かった。則夫は玄関で運動靴に履き替えるとき、こう思った、妹はまだ幼いから学校で教わった感情に染まっているのだろう。

 則夫は素振りをした。則夫のバットは鋭く、ビュンと音を立てる。上から下へ振り下ろし、脇を締めて腰の回転で振り回し、最後は腰で持ち上げるようにバットを上に振り抜く。大リーグの日本人選手の真似だ。俺は強い、俺はスラッガーだ、そう言い聞かせながら素振りをしていると、ふと閃いた。俺は試合前に怪我をした人の痛みならわかるぞ。汗だくになって素振りをする則夫は、思いついたことが正しいと思った。

 則夫は、外から戻って来ると、居間でくつろいでいた父に、そのまま伝えた。俺は自分の痛みならわかるから、試合前に怪我した人の痛みならわかると。それを聞いた父が、何か考え事でもしていたのかと尋ねた。則夫は、先刻子ども部屋であったやりとりを父に伝えた。

 父は、聞くだけ聞いて、家族を平和記念公園に連れて行くと言い出したのだった。父は、母には、今年は戦後80年の節目だから、観光も兼ねて行こうと言った。則夫は、考えが間違っているのか不安になったが、父は、むしろよく言ったという顔で則夫を受け入れた。則夫は、いまいち父の真意がわからなかったが、平和記念公園は行ってみたかった。

 恵奈は、あの夜の陰鬱な様子とは裏腹に、明るい様子で平和記念公園を歩いた。曲がりくねった車道を横目に、時には足早に、整然とした歩道を歩く。則夫は、かつてこの場所は、水が飲みたくても飲めなかった罹災者で埋め尽くされていたことを知っていた。

 則夫は、恵奈に、

「被爆した人は水が飲みたくても飲めなかったんだぞ」

と言った。少し悪気があって、幼い妹にどれくらいの想像がつくものか知りたかった。

「どうして?」

「放射性物質を含んだ黒い雨と同じで、水という水が疑わしかったんだぞ。飲んで黒い血を吐いた人もいたんだぞ」

「本当?」

「なんだ、そんなことも知らないのに戦争するなって大人に言うつもりだったのか」

「大人は怖くないよ、お兄ちゃんは怖いの?」

「そうじゃないだろう、大人じゃなくて戦争のほうだ、戦争するなって言えるのか」

 恵奈は急に立ち止まって、

「お兄ちゃん。戦争なんてしちゃいけないのは、こんなに広い公園がなぜここにあるのか考えれば誰でもわかるよ」

と言って、キョトンとした顔をしたが、どこか得意気にも見えた。

 すると父が会話に入って来て、もっとずっと焼け野原だったのだぞ、もっと遠くから、遠くのほうまでずっと、と言った。

 恵奈は、クスクスと笑うと、また楽しそうに歩き出した。恵奈は、初めての広島旅行が愉しくて仕方が無い様子だった。この前日は、父はあえて呉にある海上自衛隊の潜水艦を見に連れて行った。今日も早朝に自家用車で広島市南区を駆け抜けて波止場に行った。恵奈は、街が海、川、山に囲まれて、風が少し塩辛いことが嬉しそうだったし、埼玉には一切ない、路面電車にも興味津々だった。

 父は、そんな嬉しそうな恵奈に満足することなく、ここへ家族を連れて来た目的を果たそうと思ったのだ。父は、韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で立ち止まった。慰霊碑は、徴用工で広島にいた韓国人の被爆者のために建てられたものだ。碑文には「悠久な歴史を通じて、わが韓民族は他民族のものをむさぼろうとしなかったし、他民族を侵略しようとはしませんでした」と書かれている。父は、太平洋戦争とは、日本が朝鮮半島を植民地支配した三十五年間の、最後の四年弱だと、こちらの慰霊碑は被爆した韓国の人達のためのものだと、則夫と恵奈に説明した。

 父は、説明したついでに自分の考えを打ち明けた。日本人は韓国併合と言って、植民地支配によって韓国を近代化させたと正当化するが、戦争を犯罪とみなす一方で、併合であれば構わないというのも不思議だ。突き詰めていけば、正しい国境なんて誰が決めることでもない、一つの民族に一つの国というのも考え方でしかない、しかし、故郷、文明や文化に敬意を払わない人達に支配されない権利を、人は皆、生まれながらに持っていると信じたい。韓国と朝鮮に対する植民地支配だけでなく、中国に対して行った侵略も、当然日本は反省しなければならない。

 夏の海風が吹き抜ける継承の庭

 家族は韓国人原爆犠牲者慰霊碑の前で手を合わせると、再び慰霊碑のほうへ歩き出した。恵奈は小走りで、則夫は恵奈を追いかけるように早歩きで。

 則夫は、恵奈に、

「恵奈は父さんの話の意味がわかったのか?」

と聞いた。恵奈は、一番可哀そうな人達だねと言って、さも憐れむような顔をした。則夫とて、生まれた国を離れて、連れて来られた場所で、苦しみ抜いて死んだ人達がいたとなれば、可哀想と思う、他はない。

 しかし則夫は、

「日本人は間違っていたなんて思うな」

と言った。

「どうして?」

「日本とは日本の国境の内側だ。今も沢山の大人が必至で守っていて、俺と恵奈はそれをぽんと受け取っているだけだ」

 恵奈は少し間を置いてから、

「お兄ちゃんは、なんで私に優しいの?」

と尋ねた。

 則夫は幾らか驚いたが、

「妹だからだ」

と答えた。父の話が難しくて心細くなったのかと則夫は思ったが。

「皆にやってよ」

「は?」

「それ皆にやって」

「皆って、世界中の人か?」

 恵奈は、嬉しそうに、うんと頷くと、慰霊碑のほうへ走って行った。則夫は、冗談のような恵奈の笑顔を、追いかけるようにゆっくりと走った。平和記念公園を庭のように。

「恵奈!原爆ドームはどうだった?どう思った?」

「忘れないでって言っているよ!」

「そう言っている気がしたのか?」

「そう!」

 恵奈は、慰霊碑の向こうに見える原爆ドームが、忘れ去られることを恐れているようにみえた。先人の知恵が頑なに守り続ける廃墟。戦争が強い弱いの決着で終わったことは事実だが、日本は、戦争を犯罪とみなす価値観を今もこの庭で育てている。

 慰霊碑の前で恵奈は、

「この人達のお墓に行きたい」

と言った。則夫は、はぁ、と溜息をついてから、相変わらずの妹になんて言うべきか悩んだ。恵奈はどうして、そう思うのだろう。

 則夫は、少し間を置いて、

「平和記念公園は罹災した人達のお墓だ、こんな立派なお墓が建てられるのは最高のメジャーリーガーでも無理だ」

と言った。

 恵奈は、苦い顔をして微笑んだ。則夫は、間違ったことを言ったとは思わなかったが、恵奈は次第に苦虫を嚙み潰した顔になった。

「私達のような兄妹が沢山いたはずだよ」

 恵奈は微かな声で言って、逆に兄を諭したのだった。

「その人達は、私達の命が今ここにあって平和を愛するために、償わされたの」

 恵奈はそう言って泣き出した。平和が国境を超えて行き届かない理由とは、ここに落ちた核兵器を今もいくつかの国が手放さないことにあるのだから、平和を愛するとは、核の時代が始まった日、ただここにいただけで犠牲となった人達に涙することだ。則夫はそう思って、恵奈を理解したが、本当に悲しい時にだけ泣けと言って、なぐさめた。

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