アラブの春、リビア内戦とメディア

■資料:2021年3月3日毎日新聞紙面「アラブの春から10年」より
(引用)2011年に中東のアラブ諸国で起きた民主化要求運動「アラブの春」から今年で10年。この運動は、失敗だったのだろうか?私は昨秋から、この問いを胸に現場で取材を重ねてきた。長期独裁政権に対して市民が「ノー」の声を上げ、SNS(ネット交流サービス)の普及にも後押しされたデモは大きなうねりとなって、独裁者を倒していった。しかし、エジプトでは数年後に再び強権的な政権が生まれた。リビアとイエメン、シリアでは内戦が発生し、多くの人々が生命や財産を奪われ、故郷を追われた。唯一、民主化に成功したチュニジアでさえ深刻な経済難に直面している。(中略)欧米やロシアを含む外部からの介入や影響にも翻弄された。シリアやリビア、イエメンの内戦では諸外国の軍事介入によって戦火は一層激しいものとなった。革命後も平和が保たれたチュニジアでも、隣の石油大国リビアで紛争が起きたことで経済は大きな打撃を受けた。小国のチュニジアにとってリビアは重要な市場であり、人々の出稼ぎが先だったからだ。チュニジアの現場で目撃した庶民の困窮は、国外からもたらされたものであった。(中略)アラブの春を経験した国々は、その多くが英仏列強の植民地支配を経て20世紀に独立した。その後、数十年にわたって独裁政権の支配が続き、過去一度も民主的な社会を経験してこなかった。そして起きたアラブの春は、誰かが意図して始めたのではなく、独裁政権の圧政と腐敗、高学歴でも適職に恵まれない若年層の不満など、やむにやまれぬ状況下での半ば自然発生的なものだった。そのため、独裁者を倒した後の展望は必ずしも明確ではなく、混乱へとつながっていった。(おわり)

■資料:『リビアを知るための60章【第2版】―独裁者が去った北アフリカの大国の現在』編著:塩尻 和子、出版社:明石書店
(引用)リビアでの民衆蜂起の直接的なきっかけは、二〇一一年二月一五日にベンガジの治安機関本部前で行われた抗議デモであった。よく知られていることであるが、この抗議デモは、同じ日に治安機関によって拘束された人権派弁護士ファトヒー・ティルビルの解放を求めるものであった。(おわり)

■資料:『「アラブの春」の正体 欧米とメディアに踊らされた民主化革命』著:重信 メイ、角川oneテーマ21
(引用)日本や欧米の報道では、カダフィは暴力的な独裁者というイメージですが、かならずしもそういう一面だけで語られるべき人物ではありません。(中略)中東の指導者のなかでも、欧米の顔色をうかがったり、ほかの中東の指導者の様子を見たりする人たちとは違って、思ったことをはっきりと口にするリーダーとして知られていました。ベン・アリー、ムバラクと比べれば、リビア国民から支持されてきた人物です。(中略)欧米のメディアは「民主的な機関が一つもない国だ」と報じていました。リビアには国会がない、と。(中略)リビア国民は六四〇万人。国土からすれば少ないですが、とはいえ、全員が一度に集まることはできません。そこで地域ごとに「マジレス(Basic People’s Congress 基礎人民会議)」という会議が開かれ、そこで国民の声が吸い上げられるという仕組みを持っていました。全国、地方、地域の要望や意見、問題点が出され、対策が話し合われる会議です。(中略)マジレスはローカルな問題を話し合うにはいい方法ですが、もっと大きな問題、たとえば、カダフィの政治体制についてや外交問題を議論しても、実際に反映されることはありませんでした。(中略)カダフィに提案を伝えることはできても、カダフィが納得して命令を下さない限り、ものごとが動かないのです。(中略)メディアが伝えるカダフィ政権の姿が歪められていたことは間違いありませんが、その一方で、カダフィ政権もかつて表明していたような理想国家がつくれなかったことも事実です。国民の意思を尊重した社会主義的政策というには、カダフィは専横がすぎました。(中略)「アラブの春」と言われている一連の「革命」のなかで、リビアはシリアと並んで報道と現実が乖離した例です。アラブのアルジャジーラも、欧米のメディアも、反カダフィ勢力の側に立ち、あたかも「革命」であるかのような報道をしました。しかし実態は、権力を奪い合う内戦でした。(おわり)

■資料:2021年1月31日毎日新聞紙面「アラブ 失われた春 民主化運動から10年」より
(引用)リビアでは11年2月に本格的なデモが始まり、鎮圧を目指すカダフィ政権と反体制派が衝突。やがて米英仏などの多国籍軍が「リビア市民を守る」との名目で空爆を実施し、カダフィ政権は8月に崩壊した。だがリビアに真の「春」は来なかった。その後は複数の勢力が割拠する内戦状態に突入し、過激派組織「イスラム国」(IS)なども台頭。国家は東西に分裂した。15年に国連の仲介で統一政府樹立の合意が結ばれ、その後シラージュ暫定首相が就任したが、東部を拠点とする民兵組織「リビア国民軍」(LNA)を率いるハフタル氏はこれを認めず、戦闘が激化した。(おわり)

多国籍軍の介入は、欧米のメディアの主張に従えばひとえに「人道的介入」ということになる。これについて開口一番「(そのような認識は)メディアに踊らされているのだ」と聞くと以降傾聴に抵抗を感じるものの、リビア内戦への多国籍軍介入についてはそのような見解が現に散見される。「リビアは欧米と肩を並べる社会主義福祉国家だ、だからアラブの春をもって欧米に狙われたのだ」という見解もあった。文献によっては「これは内戦でありそもそも民主化要求運動ではない」という記述もあった。

■キーワード
アラブ・ナショナリズム
緑の書

■アドバイス
「人道的介入」は「内政不干渉原則」や「民族自決権」に関連する重要なキーワードで、国際系編入学試験でも頻繁に出題等される。

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