時事問題:民主制とフェイクニュース

2023年1月、ブラジルで、「大統領選挙が不正だ」とするSNSの投稿を妄信した人々によって議会が襲撃された。議会は襲撃した人びとに占拠されてしまった。ある男性は、「やってしまった破壊行為は許されないが、議会を占拠したことは後悔していない。」と言う。ある女性は、「新聞やテレビは、昨年10月落選したボルソナロ前大統領の悪いことしか言わないので見る必要がない。スマートフォンがあれば世界で起きていることがだいたいわかる。」と話していた。これまで情報とは、ユーザの個人的な利用の波に乗って広まり主だったSNSは有数だった。しかし今回のケースは、いままでよりも人工的な戦術としての性格を強め、複数のSNSを使い分けながら行われた。

議会を占拠するという行為は、国民投票のように期日を予め決めて全員一律に一人一票を投じる本来の民主制の在り方とはかけ離れているね。

ジョバイロ

エングレイブ

インターネット上のSNSのほうが正直だという考えの人がいるんだね。
しかし今回のケースはSNSを悪用することで民主制そのものを破壊してしまった事件だ。

ジョバイロ

小寺林

フェイクニュースの流布が、漠然とした「社会」で広まっている感覚に陥りやすくなってきているね。

エングレイブ

あくまでSNS運営企業に管理の徹底を促す権力や当局のやり方は、ここにきて一歩遅れたものになってきてしまっているのかもしれない。漠然とした「社会」に免疫が必要なくらい、悪意は巧妙になってきていると思う。

小寺林

つまり言論という本来自由な世界の中で、フェイクニュースの悪意とたたかうために一人ひとりが何を思っているべきなのかという話にもなるね。確かに言論の自由とは、完全なる自由放任ではない。2000年代から、そのときは「ヘイトスピーチ」をテーマにしながら憲法学の分野で、たとえば中立的立場から闊達な議論を見守るにも限界があると論じられてきた。そこでは「共生」という考え方のコンセンサスを処方箋として挙げていた。自分と異なった人びとを破滅させるのではなく、共生する社会のために闊達な議論の場が設けられているということ。それは言論の自由市場に参加する人たちで予め了承していてほしいという考え方にコンセンサスをとるべきだとする研究者がいたんだ。その線で行くと、フェイクニュースの悪意とたたかえるコンセンサスはなんだろう。

考える様子が可視化されることは、考える人を増やすかもしれない。しかし、誰かの回答が模倣されてしまうだけで終わることも多い。国民投票のように、期日を予め決めて一人一票を投じることが本来の民主制の姿なのだから、自分にあった考え方や意見を賢い者の中から探し続けるという感覚は大切だ。自分の本当に言いたいことを、自分の中で、あるいは他者の中に探し求める、「能動性」を絶やさないことが大事だ。

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