資本主義というファフナー

長崎県平戸市の離島、生月島。16世紀にあの宣教師フランシスコ=ザビエルが直接キリスト教を布教した島だ。明治政府が禁教令を解いて100年以上が過ぎ、教会堂が島にできた今でも、潜伏時代の信仰形態を守り続ける人もいる。そうした歴史に造詣の深い生月島は観光地スポットとしてニッチな人気がある。
生月島は、1991年の生月大橋の供用開始で平戸島と結ばれた。平戸島から平戸大橋を通れば九州本土に到達できる。結果として観光客は劇的に増えた。公共サービスへのアクセスも改善された。良いことだらけだ。しかし島の人口は減ってしまった。どうしてだろう。
生月島は、禁教の只中にあった江戸時代は捕鯨、戦後は東シナ海など沖合漁業で栄えた漁村でもある。しかし1990年代初頭から日本全体で漁業が衰退していくと、日本各地で漁村は衰退、生月島も例外ではなかった。漁業を見限り青年が島をでていく。いけない誰かが島を支えなくては。
近年、生月漁協の地域での奮闘は目覚ましいものがある。閉店したスーパーマーケットの後継で、2010年に「スーパーしおかぜ」をオープンさせ生活事業に取り組むと、2013年には「グループホームふれあい」を開設し福祉事業にも取り組みはじめた。これらは地域住民からの強い要望でスタートした事業だ。いま生月漁協は唯一有力な地域内資本として地域のコミュニティ維持に大きく貢献している。この生月漁協に典型的な、漁協が漁村を支える構造は、漁村の活性化を企図する者が一切見落としてはいけない実態だ。
いま漁業者の競争環境は大きく変わろうとしている。2018年12月に成立した改正漁業法は、漁業権、その優先順位の撤廃を盛り込み、2020年施行予定である。これまで地元漁業者に優先的に与えられていた「漁業をする権利」が、県外漁協や大手商社にも平等に与えられるようになれば、彼らの参入が期待できる、そのような公算の政策だ。

決められた期間、決められた水域で、独占的に特定の漁をする権利を漁業権と言います。自由な漁業を認めると水産資源が枯渇するため、それを回避する目的で漁業権は漁業法で明確に規定されています。具体的に現行法では、真珠の養殖は地元漁業者および当該水域での養殖経験者が優先的に漁業権を与えられます、そして新規参入者は彼らに次ぐ優先順位で漁業権を与えられます。政府は現行法の大幅改正で、例えば真珠養殖の優先順位を廃止しようとしています。廃止されれば真珠養殖は今後、県外漁協や大手商社の新規参入が期待される見通しです。
これは経済学でいうところの自由化、規制緩和の具体例であり、現行法の規制で市場に非効率が生じている場合などに実施が検討されます。今回の養殖事業のケースでは、優先順位の高い漁業者の衰えが主だった理由です。水域資源を非効率に活用してしまう漁業者に漁業権を優先すると、結果として市場でも水産物の供給過少や価格上昇を引き起こします。

今後こそ人がやってくる。しかしやってくるのはライバルではないのか。戦いになれば人と人とのつながりを支える生月漁協に負けは許されないのではないか。都市部に本社を置く大手商社、域内の経済規模に対して巨大資本であろう彼らの参入により、地元漁業者が晒される競争は熾烈を極めるのではないか。そして都市部の商社が地域の生活を支えるだろうか、福祉を支えるだろうか、地域住民とどのようなコミュニケーションをとるだろうか。危ういのではないだろうか。おおよそ血縁・地縁を基盤とした自然発生的・伝統的社会の生業である漁業に対し、政府が想定する漁業は利益社会的すぎるのだ。

その一方で伝え聞くニュースとしては、AIを活用した水産資源の効率のよい活用がどうとか、そのような話である。他業種の参入とはそういうことなのだろう。それ自体はとても良いことだと思う。しかし漁村が直面している課題、悪循環に対する解決方策としては未知数という判断も添付されていて、「やはりか」と思う。

参考:漁業の救世主
参考:2018年8月26日毎日新聞

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