朱子学の「性即理」
朱子学の「性即理」とは、孟子の性善説を基にした説で「人間には善性が生来備わっている」という考え方と対立しない。天には「理」があり、すべての人間が天から「命」として「性」を賦与されている。
喜怒哀楽(といった感情)も、未発の段階ではすべて善である。それらが外に表れても節度に適っていれば善でないものはない。【抜粋『朱子学と陽明学』p90 小島毅】
然るべき手順を踏まえて礼に適合した形で自分の感情表現をすることが人格者である。【抜粋『朱子学と陽明学』p91 小島毅】
喜怒哀楽は情である。それらの未発は性である。偏るところがないのを中という。表出してすべて節度にかなっているのは情の正しい姿である。それにそむくことがないのを和という。【抜粋『朱子学と陽明学』p92 小島毅】
朱子学は「心統性情」といい、心が性と情を統制するとした。陽明学は「心即理」といい、(朱子学上の)心も、天理から賦与されたものだと言う。陽明学は、朱子学よりも一元論の傾向があり、より性善説的だという論者もいる。
理気二元論と朱子学
理気二元論とは、中国宋代の儒学で唱えられた哲学説である。理と気が相まって万物をなす。理は、形而上のもの(思惟)に属し、気は形而下のもの(五感で感じ取れる現象)に属す概念である。
理の字は、もともと玉のスジメの整然たる有様をあらわし、やがて一般に筋道の立っていること、整然たる秩序あることを意味する概念となったものである。
朱子学は、理気二元論と言われながら、気よりも理を根源的なものとする「理の哲学」という性格を持つ。しかし朱子学は現実の世界をすべて理の一元に還元するのではなく、理に対抗する気の存在を認める。この意味では、朱子学は理気二元論の立場にあると言える。
朱子学で、気とは、情であり、感情や欲としてあらわれる心の動きである。気はときに悪である。これを天理(すなわち性)と分けて根源的存在を認めたうえで、本性とは理であることを認めた。
仏教との対比
仏教で「万物に仏性あり」とは、あらゆるものが仏の化身でありうるという説である。しかしこれは万物が縁により、仏の化身であり得るためには自らの因(心 識(阿頼耶識))、通俗的に説けば心の奥底にある無意識の認知機構、を浄化すべしという教えである。特に浄土真宗においては阿頼耶識は不浄である(万物は仏の化身なのに不浄によりそう認知できない)と説き、阿弥陀仏による一切衆生救済の必要を説くものだ。
仏教は形而下のもの(現象)の根源に形而上のもの(思惟)を必須とする一元論である。また形而上のものが、(朱子学上の)天など、人間を超越したものから与えられたと考えていない。
朱子学からみた道徳と秩序
朱子学は、情が理の能動に適えば人間の道徳的完成は他律的でなく自律的でもあり得るとし、人間の合理的な善悪判断を認めた。これは人間が社会秩序を形成する合理性を持っていると考える立場であると言える。
朱子学は御用学問であり政治思想ではない
江戸幕府は朱子学を擁護したが、朱子学は政治思想ではなく、確かに君臣関係・父子関係に言及したものであるが、そうした朱子学の一面が江戸幕府(幕藩体制)のイデオロギーとして説かれていたのではなく、林羅山の「上下定分の理」という学説にしたって政治思想として必要だったわけではない。むしろそのような誤解は後世の虚像だと指摘する文献は多い。
少なくとも1790年代の「寛政異学の禁」によって朱子学以外の学問が排斥されるまで、他の学問との(たとえば陽明学は民間の学者によって主張され平民主義と接近していたが)イデオロギー対立はなかっただろうと言う文献もある。朱子学の教義を解体したうえで、やはり政治への指針たることを目指したものではないという判断をする文献もあったし、封建制と家産官僚制が併存する中で、朱子学とはそれぞれにどのような関係性であったかを問題意識とする文献もあった。いずれにせよ朱子学は学問であり政治思想ではないという考え方が主流だ。
江戸時代とは、朱子学上の理よりも権力者の法令が優先される社会である。「生類憐みの令」などが人間の性善説や合理的な善悪判断を認めていたとは思えないだろう。また朱子学に従えば、将軍が天理に背けば、正さなくてはならないわけだから、朱子学とは、そもそも当時の幕府権力と衝突する可能性すらあったのである。
ただし朱子学は、日本中世の宗教権威でもあった仏教を否定する役割を、近世において、果たした。このことは多くの文献が認めている。
参考文献
『朱子学と陽明学』小島毅
『日本封建思想史研究』尾藤正英
『兵学と朱子学・蘭学・国学 -近世日本思想史の構図-』前田勉
『近世日本社会と儒教』黒住真
「朱子思想の性格 -朱子以後の東アジア儒学思想史の理解の前提として-」嚴錫伝
『丸山眞男 -日本近代における公と私-』間宮陽介