同化と闘争のナショナリズム、その具体例としてのトルコ共和国

ナショナリズムとは、複数の社会集団を単一の国民に統合しようとする思想です。ある国が多民族であったり、多宗教であったりして、複数の社会集団が混在していたとき、何らかの共通属性に基づいて単一の人的基盤にしようという思想です。しかし往々にして、そうした人的基盤は、少数派集団の排斥や、多数派集団への同化政策によって人工的に形成されます。その過程で、深刻な人権抑圧、民族弾圧や民族紛争を経験する場合があります。

ここでトルコ共和国の事例をみてみましょう。

トルコ共和国は、建国して間もない1920年代、国父ムスタファの「なんて幸せなことか、自身をトルコ人と言える者は!」という言葉と共に、「一つの言語、文化、理想」というスローガンの体現を試みます。しかしオスマン帝国の流れをくむトルコ共和国は、多民族多宗教国家であり、スローガンの体現にむけては典型的なトルコ人(トルコ民族かつムスリムである者達)への同化が具体的な方策となりました。ここでトルコ共和国は、カリフ制の廃止など国教からイスラムを削除し、世俗化を進めていました。これは西洋近代化や社会の進歩を促す目的でした。そのため典型的なトルコ人への同化とは、ムスリム同胞という宗教的な属性に基づくものではなかったと言われています。そのためムスリム同胞という絆でかろうじて結びついていたクルド人との不和を深刻化させたと言われています。

クルド人との不和が深刻になると、トルコ共和国はクルド社会への監視と介入を、クルド人追放政策と臨時行政組織である監督総局の設立によって厳格化します。しかし政府当局の監視と介入は、1960年代にトルコ労働者党という政党を出現させ、かえってクルド民族的集団を公的空間に可視化させます。その原因は、トルコ当局の統治能力の欠如、クルド人としてのアイデンティティの軽視、暴力的な政策への反感などが挙げられます。特に暴力的な政策への反感は、1970年代に出現したクルディスタン労働者党(PKK)とトルコ政府との武力闘争、その遠因になったと言われています。

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