鏡台に立ち、鏡に映る顔を見る。
自分の顔が少し美しい。
ここは長閑な街。
駅前の大通りを南へ曲がると坂がある。
桜並木をしばらく上っていけば橋がある。
川沿いの桜の散った花弁が散りばめられた水面に架かった煉瓦の橋。
その橋まで続く坂の途中、両側に建て並ぶ古びた建物たちに紛れて娼館が営まれている。
アリサは、ニ十歳の娼婦だ。
娼館のダイニングでお気に入りの葡萄酒を飲みながら男を選んで、話しかける。
自分のことを気に入って手を出す男の表情と優しさが面白くて仕方がない。
化粧直しの鏡台で、鏡に映る目をまじまじと見る。
自分の顔が少しだけ美しい。
目が、豚のようだと言われたことを忘れるくらい大きく丸い。
しかし、鏡には秘密があった。
鏡は魔女だった。
1000年前の魔女狩りで大勢の魔女が火刑に処された。
鏡の魔女は魔力が強すぎたため、肉体が焼け落ちても死なず、腐る前に鏡台に変化し、その姿で生きていた。
火刑場の灰にまみれて兵隊達に見つけ出された鏡台を、王は、神秘的だと言いアンティークとして扱った。
まだ魔女が生きている姿とも知らず。
1000年の時を経て”アンティーク”は、この長閑な街の娼館にかくまわれていた。
魔女は、乙女の顔を少しだけ美しく見せる悪戯をして暮らしていたのだ。
魔女は人の心の声を聴くことができるから悪戯が楽しいのだ。
アリサは、鏡に映るたびに、私はこんなに可愛かったかしらと喜ぶ。
その心の声が魔女に聴こえる。
魔女は、日を追うごとにアリサを気に入った。
アリサだけが喜ぶ。
ある夜、魔女は、オペラ座の女優にも負けない美しい顔を映して見せた。
ギョッとするアリサは、やがて怪訝そうな顔で、金庫破りでも見るかのような目で鏡をジトっと見た。
そしてはっきりと声に出して言った。
「私じゃないわね」
すると鏡台は、うわっと急に黒い灰になり、火刑の炎が呼び覚まされたかのように熱く、赤く燃え、アリサに襲い掛かり、アリサの肉をばりばりと焼いた。
魔女は、アリサと一つになり、骨に新しい肉を再生する。
そして鏡に映った美しい女性を見事に再現した。
魔女は娼婦のドレスを着替え、娼館を出て、煉瓦の橋へ行く。
風のない静かな夜の桜が身を隠すように大人しい。
橋まで来て、魔女はアリサに言い聞かせる。
南へ行き、生まれ変わった姿で新しい暮らしをしよう。
私と共に暮らそう。
(おしまい)