数十年前クイズ番組で「コンビニエンス(convinience)」という単語が出題された。正解は「便利さ」。コンビニエンスストアのコンビニエンスの意味を知っているのかという問題だった。当時はコンビニエンスストアがもてはやされて話題だった。急速に便利になる人間社会に伴って多様化する人間生活。コンビニの24時間営業はその変動に合理的な「便利さ」だった。しかしコンビニはいま人手不足など理由に脱24時間営業、脱深夜営業に向け継時的な議論の只中にある。
昨今の複雑化したコンビニの業務をほぼ最低賃金の時給で納得できるのは外国人、学生や被扶養者などにほぼ限られる。従業員がいなければオーナー自ら店頭で働く。それも深夜の人件費削減で夜勤が中心だ。この実態を木村義和氏は自身の著書『コンビニの闇』の中で紹介しながら、店舗オーナーらの生活は逼迫し過酷で隷属的だと説いた。死亡事例もある。それでも深夜営業存続派がいて彼らが説くのは「インフラストラクチャー(infrastructure)」という単語だ。現代のコンビニは便利すぎる。もはや電気、水道、ガスに匹敵する生活基盤だと存続派は言いたい。
もちろん便利なのは良いことだ。それにコンビニが「便利さ」の足し算を繰り返したのも、小規模小売店舗の生き残りをかけた進化、百貨店をして「モノが売れない」と言わしめたインターネット通販の時代に実店舗が生き残る術だったのだろう。一部の家電量販店もショッピングモール化している。モノを売るための進化だ。要は人間社会で「便利さ」が商品化されモノとセット販売されている。
しかし、コンビニに対する「社会インフラ」という認識は、商品化された「便利さ」に相当する部分へ具体的な対価を支払う意思というよりはむしろその真逆の意思の表れだろう。たとえていうならインフラはインフラでも「一般道路」なのだ「高速道路」ではなく。誰もコンビニ入場料など支払うつもりはない。そして「オーナーらは社会インフラと呼ばれて困惑している」と著書『コンビニの闇』にも書いてあった。彼らは懸命に働いていたらそれが社会に必要だと突然言われた。オーナーらにも「いつもありがとう」という意味合いではなくむしろ「それが当たり前だ」という意味合いで伝わっていた。
いま「便利さ」は公然と求められる。現代人は「すべからく便利であるべし」の病理を患っている。コンビニはそんな現代人の病理を受け止め続ける怪物になった。フランチャイズ加盟店舗とは巨大な怪物の沢山の手足だ。そして著書『コンビニの闇』で語られた実態はその一つ一つを消耗しても本体こそ自壊しない仕組みだ。そして「便利さ」を公然と配るため怪物は現代社会を生き続けなければいけない。これがかつて「コンビニエンス(convinience)」の意味をただ「便利さ」と答えた未来だ。
参考:
『コンビニの闇』木村義和(ワニブックスPLUS新書)
『コンビニチェーン進化史』梅澤聡(イースト新書)