処刑

旧来の友人に面白おかしくこう言い聞かせたことがある。

ネコを袋詰めにして火を点けたらネズミ花火みたいにのたうち回って力尽きた、目玉がビー玉みたいにパンパンだった。

友人はこう返してきた。
犬にはやらないのか?

少し考え間をおいてこう答えた。

犬にはやらないよ。面白くなさそうだ。どうしてですか?!どうしてですか?!!ご主人様!!!とか言いそう。その点でネコは自分のことばかり考えて燃え盛りそうだ。

友人は笑っていた。
友人のほうが面白そうにしていた様子だったのでそれが少し気になった。

そのあと。
家に帰ってからぼんやり考えて思ったのは。
ヨーロッパでは中世か人類史上の様々な処刑とはそのような目に遭う謂れよりむしろ処刑される人物の人格、ひととなりに相応しいものが選ばれてきたのではないのか。

様々な処刑方法と言うと浅学が祟ってバートリ・エルジェーベトなど思い出すのだが。
見る側の面白さをオーダーメイド仕切った結果なのかもしれないな。

殺人鬼は根本的に人間が好きだと言っていた人もいた。
人はみな人間が好きで最も望ましいとする人口密度が違うだけだと言う。
人間嫌いには人は殺せないよと。

魔女狩りとか完全に上述のプロポジション(「謂れよりむしろ」)が高じているなと思った。

そういえばまた別の所で面白おかしくこう言ってみせたこともあった。

ギロチンの刃は落とす首のことなどこれっぽっちも考えていないと思う。

よくわからないがフランス市民革命派に言わせれば当時ルイ王政とは「モノが上から下に落ちるように没落然るべき」ものだったのかもしれない。

処刑に津々浦々そういった意味合いがもしもあったとしたら現代の死刑執行の様式それでもっていたって形骸化したなと思う。

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