アファーマティブ・アクションの事例としてのマレーシア国民戦線体制期

アファーマティブ・アクションとは貧困層、少数民族などの社会的・経済的地位を引き上げるために実施される積極的差別是正措置のことだ。たとえば途上国A国(近年外国資本の流入で経済成長した結果、外国人よりも地元民であるA国民の社会的・経済的地位が相対的に低い)の政府が公社職員の採用枠を増やし、地元民であるA国民に活躍の場の提供をする形で彼らの社会的・経済的地位を改善するなどである。

マレーシアの国民戦線体制期とは、複合民族社会であるマレーシアが、所得配分と政治権力配分が民族ベースで乖離した情況を、政策的にいかに調整するかという、課題に直面していた時期のことだ。年代としては1970年以降の政治体制を言う。実施された具体的な政策としてブミプトラ政策がある。その内容として、経済活動への国家の直接介入と参加、1970年から1980年までの10年間で公社の数は109社から656社に増え、公社職員はおよそ398000人から757000人に増えた。ブミプトラ政策によりブミプトラ(マレー人)の株式資本所有率が1970年の2.4%から1990年には19.3%にまで上昇した。この間、外資の株式資本所有率は63.3%から25.4%まで減り、資本の移転が外資からマレー人の間で起こったことが成果として挙げられる。当初の政策目標はマレー人による国内株式資本の所有率30%を1990年までに達成することだった。それには到達できなかったものの、ブミプトラ政策は成功した経済政策として語られる。

その後、1990年から2000年にかけては新開発政策(NDP)が実施された。ここでは民営化、地方化、人材開発、高等教育改革、情報通信関連産業集積基地計画などが掲げられ、コンセプトとしては”新しいマレー人企業家像”が謳われた。この政策は民族優遇政策でありながらも市場経済の活用を意味し、グローバル化を考えるなかで国際競争力が問題意識となっていることを感じさせる。また1997年のアジア通貨危機において華人資本を活用する救済措置がとられると、民族優遇政策をいかに調整していくか、民族優遇政策を必要としない民族融和が可能かが議論された。そしてブミプトラ政策は2009年6月、ナジブ政権によって見直しが発表された。具体的には、医療、観光、運輸、ITなど27のサービス産業で「30%以上のマレー人出資規制」が撤廃された。

マレーシアの事例は複合民族社会の政治を考えるさいに重大で、民族融和から国際競争へと政策の主題が「離陸」していくさいにアファーマティブアクションが「滑走路」的に実施されていたモデルケースにあたるだろう。

統計的資料の出典:The Political Economv og South-East Asia. Oxford University Press, 1997, p129

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