国家はもはや闊達な議論を見守る中立的な立場を正当化できない

ヘイトスピーチとは、自由演説の限界を試す難問だ。ヘイトスピーチをなんら規制せずに放っておく憲法はない、しかしその国際比較で重大な差を見出せる、規制が最低限に留まるアメリカ合衆国憲法、それに対し典型的な諸外国の憲法や典型的な国際規約はより強力に規制する。いずれも(ヘイトスピーチの取り締まりとして)不完全ではあったものの、ホロコースト、虐殺や民族浄化を目撃したこの世界、そう、溢れんばかりのヘイトスピーチに取り囲まれたこの世界において、アメリカ合衆国のやり方は確実に魅力に欠けるものだった。

いまヘイトスピーチは瞬く間に世界に広がるようになった、国家の多様性が増すにつれ、そう、社会的、民族的、宗教的、あるいは文化的な多様性が増すにつれ、(ヘイトスピーチへの)規制の必要性は急を要するものとなった。この重大な変化を理由に、国家は、もはや闊達な議論を見守る中立的な立場を正当化できず、(多様な社会的、民族的、宗教的、あるいは文化的な属性の)多元的な共存を擁立すべきであり、かつ自治と尊厳の保障をすべきであり、かつ最小限の相互理解を維持するよう努めるべきである。これらの価値観は、国家へ、ヘイトスピーチに対する積極的な奮闘を求める。

もちろん理性でもってヘイトに打ち勝つことが望ましい。しかし不幸にも、それが歴然としたものではなくなっているから、規制をもってヘイトスピーチと戦うこと、公の場での最低限の行儀作法を厳重に守っていくためにも、それ以外に道はないのである。

参考文献:Hate Speech in Constitutional Jurisprudence: A Comparative Analysis,M Rosenfeld – Cardozo L. Rev., 2002 – HeinOnline

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