海上保険のルーツは海賊討伐

保険。ある保険事故の発生に伴い保険金が支払われる金融システム。海上保険とはその最古。人類史上初の保険は積荷や船舶にかけられた。それは15世紀以降の大航海時代の到来を待たず、14世紀の地中海交易の時代には既に海上保険証券が存在した。しかし地中海の水上都市ヴェネツィアの歴史によれば、9世紀以前の河川交易の時代、ヴェネツィア人が地中海に進出する以前に、海上保険とは異なるも、商船には難破時の補償に関して法的な特権が存在し、商船はまもられていた。襲撃や災害で難破した場合にも自分の積荷、船には経済的な補償があったのだ。

商船と海賊船の区別は当時は曖昧だった。一部の略奪行為は交渉決裂の結果として起こり得るし、あるいは最初から暴力的な接近も考えられ、とにかく品を持って水上を渡るに武装とは必須だった。大船団を編成することも必須だった。そのため海上交易とは武装大船団での交易だった。それが高じたと言うべきか、水上交易とは海賊や敵対勢力の排斥も兼ねていて、当該水域の覇権争いと何ら変わらず、つまり軍事的な意味合いすらあったと言われる。河川交易時代のヴェネツィアも例外ではなく、海賊のねぐら。無法者が隠れ住まうにはうってつけの地形。交易(塩、魚、ピザンツ由来の商品の販売)と並行した海賊討伐によって、武装商船団は河川支配を確立させた。武装商船団に補償があるとは、ヴェネツィアの経済力と軍事力の担い手、その供給を絶やさないためにも当然だっだのだろう。

【参考】
『図説 ヴェネツィア「水の都」歴史散歩』
ルカ・コルフェライ著 中山悦子訳
河出書房新社

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